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3)社会変動の要因では、社会変動はどのような要因によって引き起こされるのだろうか。ストラッサーとランダル(1981,pp.26-33 )は、三つの視点から整理している。ここでその説に従って見ると第一の視点は要因の位置についてで、変動の要因を構造内に見いだす=内因(内生)論か、構造の環境に見いだす=外因(外生)論に分けられる。内因論は、マルクス(1845/46,1859)およびその他のマルクス主義、R.ダーレンドルフ(1959)、L.A.コーザー(1956)、 R. アロン (1950、1962 ) 等の非マルクス主義的闘争論、コント(1822,1830-42,1844 )、スペンサー(1876-96,1911)、E.デュルケム(1893)などの古典的進化論、M.リーヴィ(1952、1966)、W.E.ムーア(1963)、S.N.アイゼンシュタット(1963、1966 )などの近代化論、W.F.オグバーン(1966)の文化遅滞論などに共通し、外因論は、M.ミード(1953)、E.M.ロジャーズ(1962)らの文化伝播論・文化接触論、R.A.ニズベット(1969)の危機的事件のインパクト論、V.パレート(1916)、パーソンズらの機能主義的均衡論に見られる5)。ストラッサーとランダルは、外因は内因のないところでは実際には作用しようがないとしつつも、両者を分析的に分ける必要があるとしている。だが今日では、さらに内因・外因の相互作用に着目する第三の立場からの分析が課題となる6)。内因であれ外因であれ、具体的に何を要因とするか。それが第二の整理の視点である。これには、例えばマルクスの生産関係と生産手段の間の矛盾、階級対立といった経済的要因、W.G.サムナー(1906,1911,1919)、L.F.ウォード(1883、1892、1906)などのアメリカの進化論者の技術・科学的要因、ダーレンドルフの法制定のための権力闘争やアロンの所得と政治・経済的権威の分配の不平等などの政治的要因、コントの実証主義の発達や P.A.ソローキン(1937)の文化の循環のような精神的要因、デュルケム(1893)の人口的要因などがあげられる7)。これらの要因論は、相互に理論的批判の形で提出された経緯はあるものの相互に排除しあうのではなく、その間に規定関係があるものとして、その関係が問われるのが実際である。そして、その規定関係は次の整理の視点に関わっている。整理の第三の視点は要因の数についてである。これには、たった一つの要因をあげるもの、要因は多くあるが大切なのは一つとするもの、原則的には多くの要因が平等に作用するとするものの、三つの見解が論理的に分けられる。実際には、たった一つの要因を設定するのは無理で、多くの要因の中で基本的に重要なものを想定するか、諸要因をまずは平等に設定したうえで、具体的に相互の規定関係を探るべきとする二つの視点が、一般的に認められる。前者は理論的指向が強く、後者は経験的指向が強いと言える。程度の問題であるが、闘争や対立による不安定を社会の基本状態とみなす闘争理論でも、マルクス主義は前者、ダーレンドルフ、コーザー、アロンらの非マルクス主義的闘争理論は後者に、調和や均衡を論理的に基本状態とみなす統合理論でも、パレート、パーソンズらは前者、R.K.マートン(1949、1976 )は、後者に分類できよう。変動要因の確定については、内因・外因の分析のうえでの相互作用への注目、諸要因間の規定関係の経験的分析が、基本的な研究の方向と見なすことができる。しかし、社会変動分析にあって、理論と経験的データをそう直接に結び付けうるかは疑問である8)。4)社会変動のモデル社会変動分析では、理論と経験的データとの関係は極めて大きな円環関係を想定してかからねばならない。中でも、この事情を最もよく示すのは、社会変動が何か方向を持って規則的なパターンを示すのか否かというテーマであろう。とりあえず、社会変動のモデルはどのようにとらえられているか見ると、二つの点について整理できると思われる。まずはパターンの基本的な特徴付けで、大きくは進化、段階的発展、盛衰・循環、そして、これに加えて退行、崩壊などの副次的形態が指摘できる。進化論は、スペンサーに顕著なように、変化を漸次的で一定の方向にむかうととらえる発想である。これには、コントのように、方向に何らかの良い方向を設定する進歩論と、実際はともかく、スペンサーが自称するように、そうした価値観を排除する中立的進化という見方がある。段階的発展論はマルクスを典型として、ある革命的変化が生じ、その変化の前と後では構造に質的相違が認められるとする。発展の方向は一定とみなすが、ここでも進歩観を採るか否かの多様性がありうる。盛衰・循環論は、O.シュペングラー(1926)、ソローキン、パレートのように変化があるように見えてもそれは繰り返しにすぎず、良くなったり悪くなったりしているのであって、変化に特定の方向はないとする。退行は、変化に或る方向を設定して成り立つ理解であるが、崩壊は文字どおりある社会体系の消滅を指し、基本のどのパターンについても成り立つ。W.E.ムーアは、さらに細かく多くのパターンを上げているが、基本的には以上のもののバリエーションと考えられる。もう一つの論点は、このそれぞれのパターンにおける現象的多様性についてで、これには単系と多系が区別できる。正統マルクス主義、古典的進化論、初期近代化論等は単系の変動を想定したが、その後、新しいマルクス解釈(ハーバーマス1976、アミン1979)、新進化論(J.スチュワード1955、M.D.サーリンズ & E.R. サーヴィス1960)、新しい近代化論(B.ムーア1966、S.N.アイゼンシュタット1966、1970 、A.ガーシエンクロン1962)などは、一般に多系を想定する。W.E.ムーアは、パターンは対象に応じて異なりうるから変動の一般モデルはありえないとしている。つまり、一つの国家社会の様々なレベルで変動パターンは異なって現われるということで、これも、全体社会レベルでの多系論とは異なる視点から、現象的多様性を主張するものである。現象的な多様性への着目には、それぞれの社会が他のある社会の発展を手本にできるのか、それともそれと独立して独自の発展の道を歩むことができるのかという関心が現われているといえる。さらにこの経験的な変動分析への要求は、社会の変化が人々の生活にもつ影響の自覚と、その制御への欲求の現われと考えることができる。だが、この要求は、変動のモデル、パターンの基本的な特徴付けを語ることを無意味にするほど、現象の多様性に沈潜することを意味するものであろうか。そうではないであろう。歴史的変動に何らかのパターンが見いだせるか否かは、変動論にとって最も仮説的性格の強い論点の一つと考えられる。いかなるパターンが起こるかは、当然ながら対象に応じて異なりうるし、現実が答えるもので、経験的にのみ明らかになる。現象的に多様性を認める傾向にあるのは、そのためである。しかし、他方、現実から何を読み取るかは、基本的には分析者がいかなる社会・歴史観を持つかと切り放せない。社会変動のモデルを考えるならば、この最も抽象度の高い仮説の段階で視点を明らかにすることが不可欠となる。しかもそれは、あくまでも暫定的な性格を保ったものでなくてはならない。5)社会変動の速度社会変動のモデルと共に、現在、実際的に重要度を増したテーマに、社会変動の速度がある。一般的に、人類史において、初期に緩慢だった変化が歴史を経るにつれて速度を増し、近代、そしてことに現代では加速度を増していると認識されている。これにさらに、失速しつつあるという警告が加わることもある。このような言明に見られるように、社会変動の速度は現在大きな問題である。だが、ある社会内でも諸社会間でも、変動の速度は同じではない。パーソンズの構造内の過程変動と構造変動の区別に見られるように、行為、役割などのミクロなレベルでは、制度、その体系としての構造といったマクロなレベルでよりも、変化が生じやすい。つまり、社会変動の分析レベル・単位によって変化の速度は異なるのである。この他、主な指摘を挙げると、マルクス主義にあっては、生産力と生産関係の発達上のずれ、さらに広くは経済的要素から成る下部構造の発達とイデオロギーに顕著な上部構造の変化のずれが、また、革命による急激な社会の転換が論じられてきた。それに対し進化論は、近代科学、技術の発達につれて社会変動の加速性が生じること、他方、社会的知識の発達による秩序を失わない漸次的変化を説いてきた。さらに、オグバーンの文化遅滞論は、文化の中でも科学・イデオロギー・価値・観念などの非物質的文化の発達が、機械や道具などの物質的文化の発達よりも起こりにくく伝播しにくいことを指摘したし、多くの近代化論・開発論は、技術や制度の移植によって産業化、近代化を促進しうることを前提として展開してきた。これらでは、変化の速度を決定する要素として経済的要素、中でも科学技術とそれに依存した諸制度の比重が大きい一方、イデオロギー・価値・観念は変わりにくい要素と考えられている。この他社会変動の速度は、三つの関連テーマとの関係を密にしてきた。その一つは、社会問題との関係である。そもそも社会の変化は様々な社会的危機・問題の解決に応じる側面があるが、ここには、変化そのものがさらに様々な問題を引き起こしうること、変化が急激である時、問題は深刻なものとなりがちで、その解決に困難がともなうことなどが指摘できる。デュルケム(1987)のアノミー論はその好例で、この視点はマートン(1938,1949,1963,1966,1976)や、W.F.ホワイト(1943)などシカゴ学派の都市研究、社会問題研究に受け継がれ、その後多岐にわたって展開されている。それはまた、この狭義の社会問題論ではなく、開発論、近代化論のような社会の変動を目的とする議論、資本主義の危機論のような社会体制の維持の危機を視野におさめる議論でも大きく論じられるところである。この議論は、第二に、変化の質とともに速度を計画的にコントロールし進めることの是非を問うことに及び、社会計画論を導いた。社会計画論の発想そのものは、進歩と秩序を唱えたコントにまでさかのぼることができる程、変動論との関係は深いが、特に、資本主義と社会主義の対抗関係が始まった時期に顕著になり(K.マンハイム1935,1943 )、現在一層の重要性を帯びるに至っている。さらに第三に、社会問題、社会計画のテーマ化は、その一方で、問題の原因とその解決、計画そのもの、新たな諸制度の内容、そして、ことにそれらの背景として重要性を増した科学技術、知識などを巡る人々の運動を高揚させ、社会運動の社会変動に対する意義を益々高めた。社会計画と社会運動は、今日、社会変動の速度を決定する意識的要素として、社会変動論に重要な位置を占めている。