烏が飛ぶ頃#54
2017・1・22・Su 前書き 飛べなくなった烏など、その数奇な運命などおおよそ見当がつく、当たり前のように、当然のように、僕らはそれを・・・。それは、僕らがここにいることが烏と同じだからかもしれないけど、僕らにはそんな勇気も力もない。弱いのさ。飛べるだけでは何ともできないのさ。烏がいる場所はどうしていつもあんなに酷いの?彼らと出くわす場所はいつも同じ、うんざりだね。まぁ、烏は飛び立つだけなんだけどね・・・。 烏が飛ぶ頃#54 「うん、まぁ・・戦国時代が足んないんじゃねぇ。」 まぁ、ガンダム終わって次回からゼータなので、来週からいい感じでバトンパスですね。ルパンのDVDも3月でP3が終わってしまうので、いやぁ~今年一年何とかZで先ず柱が立ちました。では、改めて良い一年にしましょう!・・ん!終わっちまったか!あ、そーねぇ、Z軸の話に持っていくわけですが、先ず大スペクタクルですね。でも、まぁ、アニマックス、劇場版ガンダム全3部作一挙放送の後のぉ・・・有料ガンダム ジ・オリジン!汚れちまった、めぐりあい宇宙(そら)ぁぁぁ~! 劇場版はコアブースターが出てくるし、主題歌はそれぞれ有るし、スレッガー・ロウの居場所はどっちみち無いし、「この人は本気なんだよ、分かるぅ?」この人いなかったらホワイトベースのブリッジって公園のジャングルジムになるところだったのにぃとか、まぁ、ミライ・ヤシマをめぐる男の戦いで一番損したのは誰?とか、嗚呼この頃、どこのどのデッキでも精神年齢の幼若化が止められないとか、シャアは美談しか語らないし、ブライトはエリート坊ちゃんだし、スレッガー・ロウみたいなキャラは全員敵キャラに回されてやっぱり死ぬし・・・。 初代はランバ・ラルだぁ~ね。白兵戦も。ア・バオア・クーまでたどり着けなかった人って結構いるんだよね。まぁ、悲しいけど・・。で、やっぱりア・バオア・クーでの光景ですね。戦艦の数とMSの数、スゴイ・・。イデ(無限力)フラグが立ちそうな、何でガンダムの後にイデオンやっちゃうかな・・。そのおかげで、ゼータの鼓動が大分遅れたし。 でも、昔の戦争漫画とかは最後に主人公があっけなく死ぬのがお約束でした。死ぬまでにかなりの人、殺しているので・・。仲間がやられる度に、これ見よがしに。「人殺し」と言うテーマが昔はかなり重視されて、今、現在の漫画とかアニメは多分その頃は想像もしていなかったと思う。常に未来は裏を突いてくるのは何かしらの不可抗力があったのかも・・。 あ、ア・バオア・クーの大スペクタクルの戦場ですね。イデ無しで「脱出」でした。この頃は戦場が何だか寂しい。画面に5、6体しかMSがいないみたい・・。うん、そーなんだ。3Dことポリゴンで描画した画像データを映像で流すので、画像データを作るときは実際にプロセッサーで視点(画面)と描画するポリゴンをX、Y、Z軸で計算して更に奥行と言う概念でディスプレイ(2D)に、そして、光が当たる角度を計算してR(レッド)G(グリーン)B(ブルー)の修正、ポリゴンエンジンで三角形を計算して、そして三角形のカタマリを1点1点描画するんですよ。あ、描画の時、輝度計算ですね。 XとY軸だけなら今までと同じですが、Z軸があるので、奥行ですね。手前がマイナスかプラスかは都合です。僕は手前がマイナスのZ軸にしてみました。なので、奥がプラスになるんですが、勿論Z軸に何の制限もつけなければ、果てしなくどこまでも設定したポリゴンの図形が座標に指定されていればプロセッサーはひたすら描画してしまいます。 なので、戦艦がズラッと並んで砲撃戦、そのあとMS同士が白兵戦となると、それが作中では3km先までとか、ムリ。画像の解像度がいいから、1/1000にスケールダウンじゃ、画像(ポリゴン)が粗すぎるから、やはり、ムリ。遥か遠くにいるMS1体がほとんど点描でいいのにプロセッサーは、三角形をX、Y、Z軸で緻密に計算してしまうんですよ。それが宇宙で、視点がズームして1回転グルーンじゃ、PC止まります。 だからと言って、奥の背景だけが普通のアニメで、手前のMSだけが輝度角度が明らかに違うポリゴンじゃ、誰もが困る。昼ローの車の中みたいな、カーチェイスで「こっちの窓、さっきクラッシュしてない?」とか、窓枠から背景が微妙にはみ出し続ける制作側の意地が最後まで頭から離れなかったとかになっちゃうんですよ。 こればかりは、テクノロジーなので、バネにして後につなげるしかないですね。そーなると、それまではキャラで引っ張るしかない。でも登場するキャラクターは人類的な重いテーマを背負っている訳でもないし、プロフィールなのかプロローグなのか、そのキャラの記憶のスクラップブックのような映像が出て「・・かわいそうな人?」的な、まぁ、第6文明の人々で身長100メートルの巨人だよ、って言われるよりは受け入れやすいけど、何せ数が数で登場人物にドラマ性が無いと物語にならないし・・クロニクルの雨アラレ。 それだけ同時に沢山のクロニクルがあるのなら、それ、戦国時代とか無かったら、ウソかな?ってなるじゃないですか。あーよーやく題名にたどり着きました。・・長いね、前振りが。 3Dにゲーム性は「かくれんぼ」くらいしか無いし、どーせ、ミニマップで表示しちゃうから、自分の位置、向いている方向、敵の位置、ボスの位置、何もかもが見えるころには、「これは趣味、趣向の問題で、1ドットずつ緻密に描画する視覚表現にこだわりのある人のアート」、「あ~、のんびり青空見上げたかっただけなんだけど・・散歩の方がいいかな。」、「立体?両目が見えるのなら、見ているモノすべてが立体です」・・・これらは、思いっきり投げつけた石がそのまんま自分に跳ね返ってきたほんの一部なんです。 当時は3Dグラフィクスは疎ましかったですよ。主にアニメよりも映画とかの方が。一方的にゲームもそうなるのかと思うと、「ゲーム、ヤバいぞ」って思っていたので。ゲーム性が無いのは筐体を見ていた誰もが知っていただろうし、コンピューターグラフィックは?って問われても、3Dは必要が無いとは言えないし、マシンパワーとか、スペック、互換性、とか全部一人で背負わされて、ドングリの背比べさせられるのかと思ったら、「一度、滅んでもらわないと、ダメかも」って、ポリゴンが本当に三角に見えていた時から、抱え込んでました。 そーですね。今はカードでバトルですね。小学生にだってカラクリが分かる筐体で、暇に費やすお金が人生の大半だなんて、まぁ、少年時代なんてそんなもんですよ。だから、クリエイティブになれるんですよ。思い起こせば、ファミコンから昨今、今日まで、・・戦国時代ですかぁ。少年時代もぉ!・・でも、活路は誰も知らない。 戦国時代って、大概第三者が我が物顔で言いますよね。こっちは、大変で争いどころではないのに・・。ミニマムな物語が活路って実例はありますね。「ルパン対クローン」の次回作が「カリオストロ城」で、400年の歴史と伯爵1人いれば、マモーとか、全知全能とか、いいですよって。 ん~・・・毎回話が右往左往してしまって、自分でも話の内容がよく分からなくなる前に、脱出します。