揺らぎ流れている 蛇足2 求道
求道(ぐどう)人は感情の生き物という。しかし、「人間は考える葦である」 本文中(転々 “風が吹けば桶屋が儲かる”を笑うには)の「数学なんて社会に出て何の役にも立たない」と同意した彼は、前後の会話から思考が止まっているように感じた。 「“数値”は“事実”を伝えている」と言えば、彼は「みんな勘違いしてるんですよね。“真実”っていうのは、、、」と言葉を変えてきた。法学部卒業者らしい。リーガルドラマなどで聞き飽きた講釈を私は遮った。「“真実”などと言っていない」と。 立場で変わる“真実”などに惑わされていたら、生活環境の苦情に伴う調査測定など満足に行なえないだろう。 測定や計測は、トレーサビリティという概念により“理論上存在する真値”に近づこうとしている。 観測者が得られる測定結果は期待値(近似値)でしかない。ばらつき、誤差、精度や(正)確度を考慮しつつ、それでも“真値”を求めようとしている。 そこには、単純なミスはあるかもしれないが、他者と比較(クロスチェック)し、大きく異なれば、間違いという事実にも気付かされる。“屁理屈”では、“事実(数値)”は変わらない。 それを土台に解決すべき問題が洗い出されてくるのが調査測定の役割であると信じている。その“事実(数値)”は答えではない。そこから始まる。 メートル原器やキログラム原器。過去に“存在”していた“真値”とも言える。 1983年には、1メートルは光速の「299,792,458メートル毎秒」という定義値と、「秒」から導出される「299,792,458分の1光秒」となった。2018年には、質量のキログラムの定義はプランク定数 h を単位 J s(kg m2 s−1 に等しい)で表したときに、その数値を 6.62607015×10^-34 と定めることによって定義され、周波数が {(299,792,458)^2/6.62606957}×10^-34ヘルツの光子のエネルギーに等価な質量となった。 最早、“長さ”も“質量”も思考の中にある。「数学なんて知らなくても幸せに暮らせる」は確かである。 ただ、本文中 (転 データ改竄問題 2) に現れる“輩”のような、優越的地位の濫用に等しく“数値”は誤魔化し、改ざんできる“どんぶり”中にあると考えている低思考力者が蔓延するのは問題である。 “神なる者”(権力者)が存在し、護ってくれるかのような時代錯誤の思考と言わざるを得ない。 “どんぶり”の代わりに“函数”を示せば、「何か騙されている気がする」と不信感を示す。 “多様”の意味も“狭め”、“閉じた系”の周りを見渡したところで、見えるものは“端(対極)”でしかない。“系(思考)”を閉じたの中で、「私は“端(極)”に寄らず中道若しくは中庸だ」と思っている人が多すぎる。 “真値”は理論上存在する。ただ、“π”も“e”も辿り着けない。 人生の道も、、、。