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2007.01.17
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カテゴリ:つ★ぶ★や★き

阪神大震災から12年が経ちました。

1995年1月15-16日は神戸の実家へ帰っていたワタシ。翌日大きな地震がやってこようとは想像もせず、翌日には半壊した家の2階のタンスの前で寝ていました。もし一日違いだったら、実際に遭遇していました。

幸い、家族、親類、友人で命にかかわるような危険に会った人はおらず、胸をなでおろしましたが、おばさんは前歯を折ったり、高校3年生の甥っ子はもろに受験に影響が出たりといろいろと大変なことはありました。しばらくはインフラが整わず、電気→水道→ガスという順序で徐々に回復。水をもらうために行列を作ったり、自衛隊の用意してくれたお風呂に入ったり、あるいは電気で沸かせるお風呂の道具を用意したり、電車が復旧するまでは長い距離を歩いたりとたくさんの不便なことがありました。

地震発生後すぐに電話が通じて、両親、親類の安否が確認できたのですが、その後の電話は混み合ってなかなか繋がらず、思えばこの頃から携帯電話が急速に普及したのですね。戦争を体験した両親はわりとおっとりと構えていて、なんだか頼もしかったような気がします。なぜか「神戸は地震が起きなくていい街」とみなが思っていた根拠はなんだったんでしょうね?

今はすっかり、元通りになりましたが、それでもあの時のことをよく思い出します。震災後、電車が動いてなくてバスを乗り継いで実家の様子を見に行きましたが、駐車場の車の上に二階が崩れて乗っかっていたり、ビルが倒壊していたりと、「これがあの神戸??」と唖然とながめていました。そんな状況の中でも人が整然と黙々と不平を言わずにじっと待っている姿が一番印象的でした。人間の本質は基本的に善なのかと思った情景。

月日とともに色あせてゆく感がありますが、いつまでも忘れてはいけないことですね。





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最終更新日  2007.01.17 22:35:42
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