|
カテゴリ:カテゴリ未分類
あいだももには世話になったなぁ~
職場で少し遅い昼ご飯を食べていた。 その時、テレビをつけたら「徹子の部屋」が放送されていた。 ゲストは高知東生41歳だった。 途中から見たので前半の話の内容はわからないが、つけた時は高島礼子の話題で盛り上がっていた。 テロップに「CMの後始めての告白・・・」みたいな文言が出たのを覚えている。 高知東生は11歳までおばあちゃんと暮らしていたらしい。 ある日突然おばあちゃんから「今日からこの人と生活するんだよ」と言われた。 その人は年に2、3回程度会っていた、おばあちゃんからおばさんと呼ぶように言われていた人。 実はこの女性がお母さんだということがわかった。 僕にもお母さんがいる!お母さんが生きていたってわかっただけで嬉しかったらしい。 でも、子供に無関心な母親。 彼は少しでもお母さんの注意をひこうと、悪いことばっかりしていた。 先生に呼び出されても、お母さんが来ることはなかった。 どれぐらい悪いことをしたらお母さんは会いに来てくれるのだろう・・・。そればっかり考えていた。 東生は高校生になった。 明徳義塾の野球部員で、最初は補欠だったらしい。 補欠だから会いに来てくれないと考えていた。 レギュラーになり、背番号がもらえたら来てくれると思って、死に物狂いで練習に励んだ。 頑張りが実り、新人戦でピッチャーの背番号がもらえた。 とても嬉しかったが、お母さんには連絡していない(明徳義塾は全寮制の高校だった)。 勝ち試合だったようで、監督から「最後の1回投げろ」と言われ、マウンドに立った。 真正面、バックネットの裏にひときわ目立ついでたちの女性が立っていた。 よ~く見るとお母さんだった。 その瞬間、涙が溢れてきた。 マウンド上で号泣してしまい、結局1球も投げることなく交代させられた。←僕も職場で号泣 お母さんは、高知東生曰く若くて美人だったらしい。 一緒に生活している時でも、テーブルにお金が置かれていて「これでメシ食っといて」みたいな感じで、毎晩酔っ払って帰ってくるような母親だった。 そんな親だったけれども、見に来てくれたことがとっても嬉しかった。 お母さんが大好きだった。 しかし、彼女は41歳という若さで交通事故で亡くなってしまった。 高知東生41歳。こんな話をするとは夢にも思わなかった。 キレイな奥さんと幸せになってほしい お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|