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テーマ:スポーツあれこれ(11115)
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21日京都市内の某ホテルにて我が部の創部40周年記念OB総会が盛大に行われた。
全国に約400人ほどのOB・OGがいらっしゃるのだが、そのうち百数十名が一堂に会した。 OB総会は毎年開催されているが、10年ごとの節目には大大的に行われることになっている。 僕は仕事の都合でS山先輩と共に2部(宴会)の前に会場入りした。 久しぶりの再会ということで宴会は大いに盛り上がった。もう呑みまくり・・・ 創部の頃のOBの方々っちゅうのは皆イカツイわ。貫禄ありまくりやね。 今回のOB総会の代表幹事学年は僕の5つ上の学年の先輩達であった。 幹事学年は毎年順番に交代し、幹事になるといろいろな行事の世話役を務めたり、ネットでの情報配信などが主な業務となる。 そして、節目に幹事学年になると今回のような大大的なOB総会を仕切らないといけない。 プログラムを見ると閉会の辞のところに僕の名前が・・・。 これはある重鎮OBが「10年ごとは間が開きすぎるから5年ごとに大大的にやろう」という鶴の一声で5年ごとの開催が決定になり、ちょうど5年ごとの節目の年に僕の学年があたってしまっている。5年後の幹事学年を代表して僕が挨拶しなければならないのである。 今から5年後にこんな大掛かりな総会の仕切り役をこなさないといけないのである。 それを知った時、僕は司会されていた先輩を見ながら5年後の総会開催までの段取りめいたものを考えていた。 (この大役をオレの学年で5年後に仕切るのかぁ~) 正直、ブルーな気分だった。 宴会も終盤になり、校歌や体育会にまつわる数々の歌を大合唱し、閉会の辞へと突入した。 先輩から、思い出話を一つしてくれとのお達しがあったため、4年間の部活動の中で一番悔しかった思い出話を披露した。 我が部はかつて常勝を誇り、優勝常連校であった。 僕の諸先輩方がその礎を築いてこられたのだが、僕の上の学年あたりから宿命のライバル○○大学との差が開き始め、今ではかつての常勝集団の貫禄はどこへやら・・・といった感じらしい。 OBの方々が必死の思いで、吐くほど練習を積み、作り上げてきた常勝集団の歴史を守りきれなかった悔しさというか苛立ちというか屈辱みたいなものを感じとって欲しかった。 体育会において負けるということがどれだけ悔しいことか・・・。 土日もなく日々練習に明け暮れるわけである。どうせやるなら良い結果を残し、良い思い出として残す方がいいに決まっている。 今の現役部員達は僕の話を聞いて何か感じとってくれたのだろうか・・・。 勝つ喜び、そして負けることがどれだけ悔しいことなのか本当にわかっているのだろうか・・・。 負け癖がついてしまった今、一番最初に取り組まなければならないのは部員の意識改革であるとほとんどのOB達が感じているようであった。 宴会がお開きになり、僕は幹事をされた学年の方々と他大勢のOBの方達と夜の街に繰り出した。 総勢30名弱の大移動となった。 結局3軒渡り歩き、最後はラーメンで締めくくった。 この大移動の中で最高齢の方は僕よりも10も上の先輩であった。(またこのKさんの奥さん 同期のマネージャーさんだったらしいが、チョー美人。久しぶりに清楚な美女を見た) 僕が一番下っ端になるが、みんなめっちゃパワフル。とにかく元気。 ほんまに年上か?って聞きたくなるほどイキイキしてるし目に力がある。 徐々に人数も減っていき、最後は7人となった。 バカ話ももちろんあったが、それ以外は終始部活動のあり方、そして打開策が朝5時まで議論された。 みんな今の部に対して苛立ちを感じているのである。 決勝レースに出る部員があまりにも少なすぎて、応援のし甲斐もないのである。 関西にいるOBはもっと現役の練習を見に行ってやってくれと言われた。 もちろん僕にも、かつて黄金時代を築き上げてきたI先輩から直々にお達しがあった。 現役部員達は部活動を楽しんでいるのだろうか・・・? 負けてばっかりで楽しいはずがない。 僕も現役当時は勝った体験もしたし、負けた体験もした。 勝つ喜びも知っているし、負ける悔しさも知っている。 宴会の時にも話をしたが、悔しさのあまり人目もはばからず泣き崩れたこともあった。 それだけ練習してきたもん。これだけ練習して負けるはずがないって思ったもん。 でも、負けた。 こんな悔しいことはない。 勝った人はみんな言う。「勝てば全てが報われる・・・」と。 OB総会に出席して本当によかった。個人的にもいい刺激になった。 中高の部活のOB会や大学の部活のOB会、仕事関係の集まりなどいろんな会があるが、やはり大学の部活動の集まりに勝るものはない。 素晴らしいの一言である。 この部に所属していることを誇りに思うし、5年後に開催されるOB総会も成功させたい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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