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長編時代小説コーナ

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士道惨なり

Dec 28, 2010
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カテゴリ:士道惨なり

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「士道惨なり」(最終回)

「稲葉っ、殿をお救いいたせ」  望月大膳が悲痛な声をあげた。

「承知」

 稲葉十右衛門が馬上から飛び降り、着地と同時に抜刀し身構えた。

「十右衛門、この時を待ちかねたぞ」

 弦次郎が村正を垂らし、うっそりと十右衛門に近づいた。

 二人の身体から剣気が立ち上り、壮烈な空気が焼け跡を覆った。

 その間に藩士が駆けより、殿の忠義の周囲を固めている。

 稲葉十右衛門が正眼から、切っ先をやや斜めに構えを移した。

「それが貴様の刀法か、見たことのない構えじゃな」

 弦次郎が稲葉十右衛門を余裕で揶揄った。どのような業であっても、

必ず倒す。弦次郎はそれだけの決意を秘めていたのだ。

 藩士が忠義を救い出し、どっと弦次郎に殺到してきた。

「手出しは無用じゃ、これは拙者と弦次郎と一対一の立会いじゃ」

 十右衛門が藩士を制し、身体を低め大刀の切っ先を地面すれすれとし

構えた。それは尋常な構えと違い異様な圧迫感を弦次郎に与えた。

「それが忍び者の刀法か」

 弦次郎が村正を左上段に移し、眼を細め十右衛門に問いかけた。

「・・・」 十右衛門は無言でじりっと前進を始めた。

「貴様に引導を渡す」 弦次郎が一歩後退し、ゆっくりと斜め上段へと

構えを移している。それは心形流、霞の太刀と呼ばれる必殺業であった。

 二人の対峙が続き、風が容赦なく吹き抜けた。十右衛門がそげた頬を

ひくっかせ、鋭い眼差しに凄味をたたえ更に身体を低めた。

「弓矢じゃ、殺せ」  望月大膳の下知で藩士が弓に矢をつがえた。

「黒岩藩、汚し」  「弦次郎、臆したか」

 十右衛門がすり足で接近し、必殺の突きを仕掛けた。弦次郎が身体を開き

十右衛門の刃が流れた。見逃さず村正を拝み討ちに振り下ろし、二人の位置

が逆転した。十右衛門が無念そうに奥歯を噛みしめた。額から血が滴ってい

る。「矢を放て」大膳の声で数本の矢が弦次郎に襲いかかった。

 弦次郎が身体を地面に倒し矢を防ぎ、起き上がるや藩士の群れに飛びこん

だ。村正が唸り光芒が奔った、数名が朱に染まっている。

 弦次郎が軽快な足さばきで十右衛門に迫った。それを感知した十右衛門は、

渾身の一撃を弦次郎の肩先に送りつけた。それは獣のような攻撃であった。

 弦次郎も負けずと攻勢にでた、ぞくに言う袈裟斬りである。受けた十右衛門

の大刀が金属音をあげ、半ばより両断された。凄まじい業である。

 十右衛門は身を捻って逃れんとしたが、弦次郎の太刀が早かった。
 
 十右衛門は脇腹から胸板にかけ存分に斬り裂かれた、村正が彼の骨肉を絶

ち、陽光を受け跳ね上がり天を指した。

 稲葉十右衛門がかっと眼を見開き仁王立ちとなっている。

 心形流の霞の太刀を浴びたのだ、暫く立ち尽くしていた十右衛門の脇腹

から、血潮が噴水のように吹き上がり、どっと焼け跡に崩れ落ちた。

 取り巻いた藩士から恐怖の声があがり、弦次郎はうっそりと佇んでいる。

 その彼の前に忠義の蒼白な顔があった。

「拙者の勝ちにござる、これで冥途の家族に良き手土産ができ申した。最後に

申し上げる、隠れ忍びは稲葉十右衛門でござった。おめおめと謀られましたな」

「馬鹿を申せ」  恐怖にかられ忠義が絶叫した。

「愚かなり黒岩藩主」 弦次郎が揶揄した時、一斉に矢が放たれ背に数本突き

刺さった。「卑怯な」  弦次郎は村正を杖とし立ち尽くしたままでいる、

それは壮烈極まる姿であった。藩を相手に激闘を終えた悲劇の男の姿である。

「あと一刻ほどで幕府高家の戸川加賀守さまが当地を通過される。これで黒岩

藩は終わりにござるな」  血を吐くように弦次郎が告げた。

「なんと」  忠義と望月大膳が顔を見つめあった。

「遅うござる、拙者がお知らせ申した。この村正を密かに入手し、隠れ忍びの

冤罪を我等に科したことは明々白々にござる」

 弦次郎の手には血潮を吸った村正が握られている。

 風切り音が弦次郎の耳朶をうったが、弦次郎はかわさず自分の胸で受けた。

 深々と矢が彼の胸に突き刺さっている。

「これで・・・黒岩藩は潰れたわ-・・」

 口から血を滴らせた弦次郎が最後の叫びをあげ、ゆっくりと青空を仰ぎ見る

ような姿勢で倒れ伏した。その顔には満足そうな笑みが浮かんでいた。

                          「了」

 今回をもちまして「士道惨なり」は完結いたしました。拙い小説にお付き合い

いただき、心から感謝申しあげます。

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Last updated  Dec 28, 2010 11:48:36 AM
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Dec 27, 2010
カテゴリ:士道惨なり

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「士道惨なり」(25)

「十右衛門・・・矢張り下郎よな、忍び者の根性を見届けた」

 弦次郎が殺気を漲らせ前進をはじめた。

「殺せ」  稲葉十右衛門が弦次郎の気迫に押され声を高めた。

「おう」  おめき声をあげた目付と藩士の一部が一斉に抜刀した。

「弦次郎っ、お主の気の向くままにいたせ」

 土井武兵衛が弱々く弦次郎に声をかけ眼を閉じた。

 弦次郎が羽織を脱ぎ捨て猛然と藩士等の群れに跳びこんだ。

 村正が朝日を受けきらきらと輝き、朝の清冽な光景に血飛沫があがり、

血の臭いが漂った。跡には朱に染まった藩士が焼け跡に転がっている。

「押しつつんで膾(なます)にいたせ」

 稲葉十右衛門がわめいた。弦次郎の周囲は白刃が連なり、眼を剥いた

藩士等が蒼白な顔をみせ身構えている。

「お主達、数を頼んで斬りこんで参れ。全て冥途に送ってやろう」

 弦次郎が挑発の言葉を発し、村正を構えなおした。

「死ね-」  無謀にも若い藩士が死の淵に飛び込んできた。

 村正が唸り下段から跳ね上がり、相手の首を薙ぎ斬った。

 血潮と共に首が宙に舞い上がり、取り巻いた藩士から恐怖の声があがった。

 弦次郎は獲物を狙う鷹のような素早い動きを示し、群れの中に飛び込んだ。

死中に活を求める、そんな気持ちであった。

 血煙が舞い骨肉を絶つ壮絶な音が響いた。袈裟斬り、逆袈裟、空け胴と

弦次郎は阿修羅の勢いで秘剣を振るい、獲物を確実に捕らえていた。

「殿じゃ、殿が参られたぞ」  藩士から声があがった。

 騎乗した忠義が顔面を紅潮させ、弦次郎の目前に姿をみせた。

 村正を素振り血潮を払った弦次郎は、大刀を斜め下段に構え、忠義の顔を

半眼で見つめ乾いた声をあげた。

「これは黒岩藩主の忠義さまか」

 弦次郎の衣装は血で汚れ蘇芳色に染まっている。

「弦次郎、余に楯をつく積もりか?」  忠義が怒りの声で叱責した。

「これは異なことを聞くもの、以前は知らずここに居る拙者は黒岩藩の

家臣ではござらん」 弦次郎が吐き捨てた。

「なにっ・・・矢張り狂っておる。こ奴を斬り捨てえ」

 忠義の下知で命を捨てた藩士が、凄まじい攻撃を浴びせてきた。

 村正の切っ先がぱっと煌き、藩士が苦痛の声を洩らし斃れ伏した。

「これは妻子とややの仇。何故、我が家族を死に追いやり申した」

「そちの一家は代々に渡って藩に巣喰った隠れ忍びと知ったればじゃ」

 忠義が切り裂くような声で弁明した。

「なんの詮議もせずに、罪人扱いとは理不尽にござる」

「馬鹿者、藩に巣喰った公儀の狗め」  忠義が騎乗のまま叫んだ。

「愚かなり今の言葉、笑止。道楽もほどほどに成され」

 血濡れた弦次郎が狼のように眼を光らせ忠義につめよった。

「余に手向かうか、弦次郎」

「先刻、申し上げた。拙者は家臣に在らず、一家のあだ討ちに推参せし者」

「・・・斬れ」

 忠義の顔色が変わった。彼は恐怖にかられ馬首を返そうとしたが、逃さずと

村正が白い光芒を放ち、馬の片脚を薙ぎ払った。

 馬が悲鳴をあげ横倒しに倒れ、忠義が地面に叩きつけられた。

 弦次郎は掛け合いをしつつ、身体の疲れを取り戻している。

 どっと稲葉十右衛門が騎馬のままに、忠義と弦次郎の間に割り込み、

大刀を振り下ろした。弦次郎も負けずと受け鋼の音が響いた。

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Last updated  Dec 27, 2010 01:51:33 PM
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Dec 25, 2010
カテゴリ:士道惨なり

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「士道惨なり」(24)

「弦次郎っ」  軒下から声がかかり、弦次郎は肥満した土井武兵衛門の

姿をとらえた。武兵衛が脇差を差し、小走りに駆け寄ってきた。

「ご中老殿か」  朝霧のなかで二人は対峙し、互いを見つめあった。

「お主には謝る、わしが至らないばかりにお主の家族を死なせた」

 弦次郎は右額から左頬に走る傷跡をみせ、黙して武兵衛を見つめた。

「その傷は十右衛門に付けられたものか、平助から覚悟のほどは聞いた。

思いなおしてはくれぬか?」   武兵衛が必死の思いで語りかけた。

 汗を滴らせた武兵衛の言葉を無視し、弦次郎は決死の覚悟を披瀝した。

「遅うござる。奴の甘言で隠れ忍びの汚名をきせられ、一家の者すべてを

惨殺された拙者の気持ちが分かりますか。拙者は藩と一戦つかまつる覚悟」

「わしのたっての願いじゃ」

「貴方さまには感謝しておりますが、武士には士道としての意地がござる。

ここで退いては、冥途の家族に申し訳がたちませぬ」

 弦次郎の顔に決然とした覚悟の色が刷かれている。

「騒動ともなると藩は潰れる、小藩と言えども藩士や家族が居る。こらえて

くれえ、この通りじゃ」  武兵衛が地面に手を着いた。

「お手をおあげくだされ」

 弦次郎は乾いた声をかけ、羽織に袖を通さず肩にかけ身体を温めている。

「どうあっても了解できぬか」  「くどうござる」

「お主をおとしめた者は、殿でも望月大膳殿でもない。稲葉十右衛門じゃ」

「存じてござ。ご中老、真の隠れ忍びは稲葉十右衛門にござるぞ」

「なんと-」  武兵衛が驚愕の色を浮かべた。

「すべてが冤罪にござったが、それを信じた殿を許すことは出来ませぬ」

 二人が語り合っている間に朝日が差しはじめ、登城の藩士達の姿がちらほら

散見される。彼等は二人を遠巻きとして険しい顔付で眺めている。

 なかには大刀を握り身構える者までいた。

「弦次郎とことを構えてはならぬ」  土井武兵衛が必死で制止した。

 弦次郎は、その武兵衛の姿に感動を覚えたが、隠れ忍びの汚名を着せられ

殺された家族を思った。彼は萎える心を隠し無表情に藩士等を眺め廻した。

 辺りは完全に明け染め、青空が広がりを見せはじめた。見慣れた山並みの

緑が眼に痛い。自分は間違ったことを成しておるのか、そんな思いがよぎった。

 士道とはかくも残酷なものか、改めて知らされる思いであった。

 だが矢は弓から放れたのだ、弦次郎はそう思った。

「弦次郎、十右衛門と尋常な勝負でことの決着を計ることは出来ぬか」

「奴ばかりではござらん、藩にも落ち度がござる。最早、何も話すことはござら

ん、お帰り下され」冷めた口調で述べ、弦次郎は地面に腰を据えた。

 あまり長いあいだ立ち続けては足腰に負担がかかる。剣客としての心得であ

る。唐突に馬蹄の音が響き、騎乗した稲葉十右衛門を先頭に目付役人の物々

しい姿が現れた。

「弦次郎、隠れ忍びの分際でよくも図々しく城下に現れよったな」

 十右衛門が十文字に襷をかけ、輪乗りを続けながら叫んだ。

「稲葉っ、談合中じゃ。手出しは成らぬ」  武兵衛が制した。

「これは異なことを申される、この役目は大目付としての拙者の努めにござる。

早々にお引取り下され」

 稲葉十右衛門がそげた頬を歪め、土井武兵衛に噛み付いた。

「無礼者、そちが真の隠れ忍びであると弦次郎から聞いた。冤罪の罪で森家の

一家は死んだのじゃ」  

 土井武兵衛が負けずと大声を張り上げた。その言葉に藩士に動揺が奔った。

「馬鹿な、・・・・今更、何を仰せじゃ」  十右衛門が鼻先であしらった。

 弦次郎がうっそりと立ち上がり、額に鉢巻を締め羽織を跳ね上げた。

「弦次郎、待て」  武兵衛が大手を広げ制止し苦悶の表情を浮かべた。

「いかが成された」  「稲葉っ、貴様っ」

 武兵衛が苦痛の声を洩らし、弦次郎の腕の中に倒れこんだ。背中に深々と

矢が突き刺さっていた。

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Last updated  Dec 25, 2010 11:38:54 AM
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Dec 24, 2010
カテゴリ:士道惨なり

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   「士道惨なり」(23)

 黒岩藩は弦次郎の出現で暗雲につつまれた。

 それは弦次郎が持参している、村正の存在である。いつ彼がそれを公儀に

差し出すか、それが殿の忠義をはじめ重臣等の恐れであった。

 そうした中でまたもや第二の惨劇が起こったのだ。

 稲葉十右衛門の門前に血塗れの首が置かれていたのだ。

「旦那さま、お屋敷の門前に首が置かれておりますぞ」

 小者が血相を変えて十右衛門に急を告げたのだ。

「なにっ」  十右衛門は門前に駆けつけ、息を飲み込んだ。

 血塗れの首は目付役人の浅井弾之助であった。

「弦次郎め、わしへの挑戦か」 稲葉十右衛門はそう感じた。

 今度はわしを狙うつもりじゃな、十右衛門は弦次郎の復讐の執念を

この事件で確信した。浅井弾之助は藩内でも聞こえた遣い手であった。

 その彼がかくも簡単に首を打たれるとは、さしもの十右衛門も思い及ばな

かった。稲葉十右衛門は城内の望月大膳に変事を知らせた。

 城内の重臣等は恐怖の淵に追い込まれたのだ。

「稲葉っ、そちの探索の甘さがこの結果じゃ。直ちに奴を捕らえよ」

 望月大膳の激がとんだが、稲葉十右衛門には打ち手がなかった。

 ただ藩境の警護を万全とし、弦次郎の逃亡を阻止する事で精一杯であった。

 こうした緊張感に包まれた城下町に夜の帳が落ち、諸所に強盗提灯の灯りが

ちらちらと光っている。更に夜が更け、ひたひたと微かな足音が聞こえてきた。

 闇の中に孤影が現れた、それは弦次郎であった。

 彼は迷うことなく焼け跡に近づき、墓標の前にぬかずいた。

「親父殿、それに皆、明朝にはわしもそなた等の許に行く」

 弦次郎が呟いた。 「旦那さま」

 突然に低い声をかけられ、弦次郎が大刀の柄に手を添えた。

「森弦次郎さまですね」  「その方は誰じゃ」

 暗闇の中に小さな影が平伏している。

「土井家に雇われております、小者の平助と申します」

「ご中老の小者がなぜこのような場所におる?」

 辺りを警戒し、低く弦次郎が訊ねた。

「ご中老さまの命でお待ち申しておりました」  「・・・・」

「貴方さまがこの焼け跡に参られると申され、わたしめを遣わされました」

「わしに何用じゃ」 「ご中老さまは貴方さまのお味方にございます」

「平助とやら、もう遅いのじゃ。わしは朝までこの焼け跡に居る。腰の村正で

藩と一戦いたす覚悟じゃ」  「そのような無謀は成りませぬ」

 冷たい風が吹きぬけ、雲間から朧月が現れた。

「わしは藩に裏切られ、挙句に家族を失った。その弔い合戦じゃ」

 弦次郎が気負いもみせずに乾いた声で言い放った。

「間違いにございます。貴方さまの真の仇は大目付の稲葉十右衛門さま、

ご中老は殿さまに諫言できず、貴方さまに詫びておられます」

「今更、後戻りは出来ぬ。ここには我が一家が眠っておる」

「ご翻意を、墓碑はご中老さまの命でわたしが立てました」

「なんと、お主が弔ってくれたのか?」

「はい、これもご中老さまのたっての願いにございました」

 弦次郎は言葉を失った。風が吹きぬけ枯葉が舞い上がった。

「黒岩藩は、わしが引導をわたす。諦めて頂くと申し上げよ」

「どうあっても、お命をお捨てに成りますか」

「お主には心から礼を申す。・・・戻るのじゃ」

 毅然とした弦次郎の言葉に、平助は答えるすべをなくし悄然として闇の

中に消え去った。

 その姿を見送り弦次郎は村正を鞘ごと抜き、胸に抱えうずくまった。

 土井武兵衛の顔が浮かんだ。いつも肥満した体躯で汗を流されていた、

あの方だけがわしの味方であった。お会いし話し合っても無駄じゃ、わしの命は

この藩と一緒に明日には消える。彼はみぎろぎもせず闇に溶け込んでいた。

 空が白々と明けはじめた、軒を並べた藩士の屋敷が浮かびあがってきた。

 冷えた身体では十分な働きが出来ぬ、そう感じ立ち上がり村正を腰に佩び

た。全てはこの刀から始まったのだ。今日はこの刀で決着を計る。

 黒糸捻りの柄を握り、素早く抜き放った。刃が一閃、二閃と空気を裂いて

迸り、鍔鳴りの音を響かせ鞘に納まった。

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Last updated  Dec 24, 2010 11:09:05 AM
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Dec 23, 2010
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「士道惨なり」(22)

        (六)

 黒岩藩は緊迫につつまれていた。稲葉十右衛門は配下を動員して弦次郎

の探索に努めていたが、それも虚しく弦次郎の消息は不明のままであった。

 何時しか藩内の空気も弛緩し、殿をはじめとし重役も胸をなでおろしていた。

 併し、弦次郎は水面下で動きだしていたのだ。

 稲葉十右衛門は、そうした空気の中で弦次郎の動きを不気味に感じとって

いた。弦次郎がこのまま動きを止めるとは考えられないのだ。

 季節は秋を迎え、朝晩の冷え込みが厳しくなった。

 冷たい風が吹く夜の深更、足音を忍ばせひとつ影が焼け跡に近づいていた。

 影は迷うこともなく粗末な墓標の前にうずくまった。

「親父殿」 微かな呟きが闇に吸い込まれた。

 影は森弦次郎であった。彼は地面に手をつき、無残な最期を遂げた妻子と

父母に語りかけていた。

「おおう-」  獣のような呻き声が風に乗って流れた。

 冷たい地面の感触が彼の心を苛み、いっそう憎しみ燃え滾っている。

 冤罪の罪を家族にかけ惨殺したた訳が今となって分かった。

 全てが稲葉十右衛門が仕組んだ陰謀と濁流に流され気づいたのだ。

 だが親友である自分の命を奪わんとした十右衛門の心が、理解出来なか

ったが、傷が癒え、彼は何度となく城下に忍び込み全てを悟ったのだ。

 奴こそが真の隠れ忍びであったのだ、稲葉十右衛門の野心と甘言に載せら

れた殿の忠義と筆頭家老の望月大膳を呪った。

 黒岩藩を潰す、これが弦次郎の望みとなった。彼はその機会を執拗に

狙った。その機会が訪れようとしていた。

 幕府の要人が京からの帰り道に、美濃街道を通過すると知ったのだ。

 弦次郎は彼等に書状を送った、黒岩藩の内情を綴った内容である。

 その時に恨みを晴らします、弦次郎は灰となって眠っている家族に

語りかけていた。孤剣でもって黒岩藩と刺し違える、それが望みであった。

 彼は声なく涙を滴らせ哭いた。

 それまでは稲葉十右衛門を恐怖におとしめ、殿はじめ重役等に己らの

無能を知らせてやる。弦次郎は地下の家族に誓い、孤影を闇の中に消した。

 大目付の稲葉家に目付役人が血相を変えて駆けこんだ。

「何事じゃ」  十右衛門の脳裡に不安がよぎったが、そげた頬をみせ配下

の者を見廻した。

「申し上げます。目付役の岩瀬一馬、山下鵜次郎殿が斬殺されておりました」

「なんと」  稲葉十右衛門が天を仰いだ、両人は今井田宿まで自分と同行

した江戸詰めの目付役人であった。

 とうとう弦次郎が牙を剥いたな、瞬時に悟った。

「両人の許に案内いたせ」

 稲葉十右衛門が死骸のある場所に駆けつけ、眼を剥いた。一人は右首から

袈裟に斬られ、一人は左首を袈裟に斬り裂かれていた。

 その傷跡の凄さは一目で弦次郎の手によるものと察しられた。

「浅井弾之助は居るか?」 「はっ、ここに居ります」

「今度はお主か、わしの番じゃ。気をつけよ」

 十右衛門が猛禽のような眼差しで注意を与えた。この浅井も殺された両人

同様に、稲葉十右衛門と同行した者であった。

「はっ、心得ております」  浅井弾之助が不敵な面をみせ肯いた。

 この知らせを受けた重臣と藩庁は恐怖に震いた、恐れていた事が事実と

なったのだ。

 直ちに藩内の警戒が高まり、町角には臨時の番所が設けられた。

 そうした黒岩藩の狼狽をあざ笑うように、弦次郎は動きを止めた。

 黒岩藩にとっての悲劇は、幕府要人の件をまったく知らなかったことである。

 稲葉十右衛門は厳重な身形で配下を引きつれ、昼夜に渡って藩内を巡視して

いたが、弦次郎の隠れ家を見つけ出すことは出来なかった。

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Last updated  Dec 23, 2010 12:15:18 PM
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Dec 22, 2010
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「士道惨なり」(21)

 今でも今井田宿で弦次郎を手にかけた感触が、鮮明に蘇ってくる。
 
 あれは六月末のことであったが、既に三ヶ月は過ぎていた。

(奴は今になって何をしょうとするのか?)

 奴の狙いは藩内に潜入しわしの命を狙うつもりじゃな。十右衛門の脳裡に

弦次郎の書状の内容が目まぐるしく交差した。

 弦次郎が復讐を宣言したと悟った。稲葉十右衛門の背に戦慄が奔りぬけた、

奴なら必ずやるだろう。

「筆頭家老さまの屋敷に参る、用意をいたせ」

 十右衛門は汗に塗れた身体を清め、慌しく屋敷を飛び出した。

 山々は濃緑色に覆われ、領内の田圃の稲が風をうけ輝いて見えるが、彼には

それを愛でる心の余裕がなかった。

「どうか致したか、顔色が優れぬぞ」

 望月大膳が稲葉十右衛門の顔をみて不審そうに訊ねた。

「ご家老、これを」  十右衛門が弦次郎の残した書状を差し出した。

「なんじゃ」  受け取り、読み下した大膳の顔色も変わった。

「弦次郎は生きておったか、稲葉っ、お主は弦次郎を始末したと申したぞ」

「拙者の不手際、お詫び申し上げます。ご家老いかが取り計らいましょうゃ」

「稲葉っ、お主の役職は大目付ぞ、お主をのぞいて誰が指図いたすのじゃ」

 筆頭家老の言う通りである。藩内の不祥事を取り締まることが大目付の役目

である。稲葉十右衛門はうかつな質問を発し冷や汗を拭った。

「拙者の誤りにございます。早速、藩内、藩境に役人を派遣いたし弦次郎の

探索にかかります」

「お主は何を考えておる。この書状がお主の許に届いたということは、奴は

既に藩内に潜んでおるという意味じゃ」  望月大膳が叱責を浴びせた。

 稲葉十右衛門がそげた頬をびくつかせ、眼に往年の凄味が戻った。

「抜かったことを申しました。配下を総動員いたし奴を見つけ出し、必ず仕留め

てご覧にいれます」

「くれぐれも慎重にの、公儀に知れては今迄の苦労が水の泡じゃ」

「畏まってござる」 稲葉十右衛門は左足をひきずり部屋を辞した。

 これは彼が森家を襲った際に、弦太夫から被った傷跡の所為である。

 お屋敷を辞した十右衛門は、不快感を顕わにし唾を吐き出した。

 あの様に取り乱した自分自身の迂闊さに腹が立ったのだ。

 平和であった黒岩藩は恐怖に叩き込まれていた、隠れ忍びとして森家一家の

者をすべて惨殺し、お家安泰と思った矢先に最も恐るべき男が出現したのだ。

 死んだと思われていた森弦次郎であった。彼は心形流の遣い手として藩内に

知られた腕を持っている。

 謂れなき罪で一家を惨殺された悲劇の主である。その弦次郎が復讐に狂って

姿を現したのだ、彼の心境に思いを馳せると鳥肌がたってくる。

「弦次郎は藩と心中するつもりじゃな」

 中老の土井武兵衛には、弦次郎の思いが手に取るように分かる。

(今更、謝罪しても遅い) だが何としても暴挙を阻止したい。

 その一念が武兵衛をつき動かした、誰よりも早く弦次郎に遭い説得を

試みる。わしの話なら分かってくれよう、儚い望みながら武兵衛は命をかけ、

弦次郎に翻意を促そうと思っていた。

 森家の始末を殿が命じられた時、お諌め出来なかった自分の弱さを悔いて

いたのだ。弦次郎は許してはくれまい、それは分かる。

 だが藩の重臣として弦次郎に詫びることは出来よう。針の穴を通すような、

小さな僥倖に彼はいちるいの望みを托していたのだ。

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Last updated  Dec 22, 2010 11:29:29 AM
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Dec 21, 2010
カテゴリ:士道惨なり

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「士道惨なり」(20)

「皆に申しておく、藩内を引きしめよ。公儀の忍びが徘徊するとは由々しき

ことじゃ、草の根を掻き分けても他に公儀の狗が潜んでいないか確かめよ。

余も道楽は止す」  忠義が三人の重臣に厳命した。

「はっ、畏まりました」  筆頭家老の望月大膳が代表し返答した。

 燃え堕ちた屋敷跡から白煙が三日にわたって漂った。

「まだ燃えておる」 人々は口々に囁きあい焼け跡を眺めている。

 完全に燃えつきた屋敷跡の片付けが、藩庁の手で行われたのは五日後で

ある。燃え堕ちた屋敷跡からは白骨ひとつ見つからなかった。五名の亡骸は

完全に燃えつきたのだ。

 月日が経っていった。藩内の人々はこの悲劇を忘れず噂話を語りあってい

た。それは月日を追うほど強まっていたのだ。

「藩の仕置きは無慈悲なものじゃ、聞けば妻女の香代さまのお腹にはややが

おられたそうな」

「お孫さまを道連れとした弦太夫さまは、さぞご無念な思いでありましょうな」

「隠れ忍びの嫌疑じゃそうじゃが、確証はなかったそうじゃ。大目付に成られ

た稲葉十右衛門さまがそう申されたそうじゃ」

「稲葉さまは弦次郎殿と竹馬の友と言われた人じゃ、あの事件から大層な

出世、今は殿の信頼を一身に集められておられる」

 人々は森家の悲劇に同情しており、稲葉十右衛門に批判的であった。

 こうした噂話は当然、稲葉十右衛門の耳にも届く。藩庁も森家が隠れ忍びで

ある確証は握っておらず、稲葉十右衛門の独断とみていた。

 亡くなった一家に同情が集まるたびに、自分の評判が悪くなり面白くもない

が、藩の実力者とし辣腕を振るう身分となり、誰もが一目おく存在となっていた。

 藩は一ヶ月、藩内、藩境を固め厳戒体勢で忍び者の発見に努めたが、なにも

得るところもなく厳戒体勢を解いた。既に悲惨な事件から二ヶ月が経っていた。

「十右衛門、大山鳴動し鼠一匹も見つからなんだの」

 土井武兵衛が皮肉った。

「なんの、何もなくて結構でござった」

 稲葉十右衛門が、そげた頬をみせうそぶいた。

(今にみよ、黒岩藩を取り潰す冤罪を作り眼に物をみせてやる) 十右衛門の

心にどす黒い悪謀が渦巻いていた。

 そうした時に焼け跡に下手な字で、亡くなった五名の名を書き並べた粗末な

墓標が立てられたのだ。取り壊しを命じたかったが、殿も重役も黙認し藩庁も

咎めだてることもなく、流石の稲葉十右衛門もこれには手がつけられず黙認す

るほかなかった。

 こうして山国の小藩は落ち着きを取り戻し、人々の生活も昔に戻り、いつしか

忌まわしい事件は忘れ去られた。

 北陸の季節のうつろいは早い、冬を予感させるように枯葉が舞い、風も心なし

か冷たく感じられる。

 そんな折、藩内が蠢動する大事が勃発しょうとは、誰もが予測しなかった。

 それは一通の書状から始まった。

 稲葉十右衛門は非番の朝を自宅で迎え、すでに紅葉の始まった山並みを

見つめながら、庭で木刀の素振りを行っていた。

「旦那さま、門前に書状が届いておりました」

 妻女の差し出した書状を何気なく開封した、十右衛門の顔色が変わった。

『いよいよ御壮健、大慶奉り候。今井田宿では丁重なるお持て成しをこうむり

候て、御礼の申し様これなく候。また家の事につき、五名の者つつがなく冥途

に参られるべく候事は、貴兄の画策せしものと存じ候て、心中決するところこれ

あり候。近々におめもじ致し候事を、今より楽しみに致しおり候。まずはかくの

如く御座候。恐々不備 二十日辰ノ刻  弦次郎。大目付 稲葉十右衛門殿』

 皮肉で恐るべき内容の書状であった。

「弦次郎め、生きておったか」  十右衛門ともあろう男が蒼白と成った。

 まさに青天の霹靂、地獄の使者を迎えた気持ちである。

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Last updated  Dec 21, 2010 11:17:42 AM
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Dec 20, 2010
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    「士道惨なり」(19)

 奥の部屋から煙が立ちのぼり、瞬く間に火の手があがった。

「千代、良うやった」  弦太夫は四人が命を絶ったと悟った。

 最早、思い残すことはない、力の限り奮戦し何時でも死ねる。

 弦太夫は四人の顔を脳裡に浮かべ、大刀を正眼とし奥に後退した。

 それは弦太夫の巧妙な策であった。

 稲葉十右衛門が弦太夫の策に乗せられ、奥に誘い込まれた。

 勝ち誇った稲葉十右門が鬼のような顔で迫ってきた。

 弦太夫は後退しながら、新たな大刀を立てかけた場所に辿り着いた。

 火の勢いが増し、弦太夫の背に火の粉が降りかかった。

「老いぼれ、死ね」  稲葉十右衛門が止めの一撃を浴びせようと構えた。

「それは貴様じゃ」  弦太夫が吠え、手の大刀を投げつけた。

 それは奇襲戦法であり、驚いた十右衛門が辛うじて身をかわした。

 それを待っていた弦太夫は、新しい大刀を手に猛然と攻勢に転じた。

 二人がぶつかり押し合いとなった、弦太夫は最後の余力で刀を振るった。

「ぐっ-」 不覚にも稲葉十右衛門は強かに高腿を斬られた。

 四人の遺体を焼く炎が廊下を覆い、きな臭い匂いが廊下を満たしてきた。

「死ねっ」  稲葉十右衛門の脇をすり抜けた藩士が躯ごとのしかかってきた。

 押し返そうとした弦太夫が血糊で足を滑らせ、身を起こそうとした隙を狙い

稲葉十右衛門が見逃さず、片手殴りで弦太夫の頭蓋を斬り下げた。

「弦次郎っ」 衝撃をうけ思わず弦太夫が倅の名を叫んだが、声にならず廊下

に転がった。彼の身体に火の粉が舞い落ちている。

「引けっ」 稲葉十右衛門は苦悶する弦太夫を見下ろし叫んだ。

 一斉に藩士が屋敷内から引き上げて行く。

「千代、待っておれ」 朦朧とした感覚のなかで弦太夫は力尽きた。

 紅蓮の炎が屋根を突き破り夜空に吹き上がった。

 藩士等は燃え盛る屋敷を遠巻きとし見つめている。

 どうっと屋敷が燃え崩れた、森家の悲劇が終わりをつげたのだ。

 騎馬の稲葉十右衛門が炎に照らされ、悪鬼のような形相で断末魔の

森家の光景を眺めている。

 わしは弦次郎に嫉妬しておった。あまりにも殿の寵愛を一身に集めている

奴が憎かった。その為に森家を隠れ忍びと偽って弦次郎ともども一家の皆殺

しを計ったのだ。これからは、わしが殿の股肱の臣下となる。

 稲葉十右衛門は腿の傷の痛みをこらえ、声なく笑いをあげた。

       (五)

 天守閣に四人の男が燃え盛る炎をじっと眺めていた。殿の忠義に筆頭家老

の望月大膳、次席家老の亀田新左衛門と中老の土井武兵衛の四人である。

 忠義と亀田新左衛門を除いた二人には、特別の感慨が浮かんでいたが、

殿さまに生まれた忠義には、弦次郎の面影が脳裡をよぎったにすぎない。

 望月大膳と土井武兵衛は、それぞれ複雑な思いで燃え落ちる森家の

断末魔の様子を眺めていた。

「殿、これで藩に隠れ潜んでおった曲者の始末がつきましたな」

 亀田新左衛門が忠義に祝いの言葉をかけた、彼等は稲葉十右衛門の策に

まんまと載せられたのだ。

「まだ安心は出来ぬ、藩境は厳戒体勢にいたせ」

「心得てございます」

 二人はこの騒動が公儀に洩れることを恐れた。その一念のみで悲劇を

眺め、森家の不幸を思いやる心を失っていた。

 だが土井武兵衛の胸中は違っていた、彼は弦次郎の気象と人柄の爽やかさ

を買っていた。それ故に屋敷が燃え崩れる様子に心を痛めていた。

 老夫婦に弦次郎の妻子の死が哀れと思われた。特に妻女はみごもっていると

弦次郎から聞かされていたので、その愛惜の情は一通りではなかった。

「弦次郎は悪い籤を引きましたな」 思わず本音が口をついて出た。

「何を申される、森家が隠れ忍びであったことは、目付の稲葉十右衛門が

確信をもって探り出した事実にござるぞ」

 望月大膳が不快そうに声を荒げた。

「もう、済んだ事にござる」 亀田新左衛門が取り成した。

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Last updated  Dec 20, 2010 12:35:00 PM
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Dec 18, 2010
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「士道惨なり」(18)

「そろそろ潮時じゃ、奴等が痺れをきらせ襲って参ろう。そち達は奥の

部屋に移るのじゃ、闘いが始まったら分かるの、自害いたせ」

 弦太夫が非情な言葉をかけ、二人の顔を名残惜しそうに見つめた。

「父上さま、子供達はわたくしが、その後に自害いたします。永いあいだ

お世話になりました。お別れいたします」

 細面の香代の横顔に毅然とした決意が秘めら、彼女は礼を述べ静かに

部屋を去った。微かな足音が聞こえたが、それも途絶えた。

 それを待って弦太夫は老妻を凝視した、言葉など不要な二人である。

「お先に参ります。香代殿と孫達の最後を見届けますのでご安心下さい」

 老妻の千代が弦太夫の手を握りしめた。

「千代、最後の願いじゃ。自害いたすまえに部屋に火を放て」

 千代が涙が宿った瞳で肯き、部屋を辞して行った。

 静寂の中に一人残された弦太夫は、一升徳利を引き寄せぐびっと飲み

干し、十文字に襷を結び立ち上がった。

 廊下は薄闇に覆われほの暗い、彼は廊下の掛け行灯に灯りを点して廻った。

 最後の時が訪れようとしている、大扉を破るカケヤの音が響いてきた。

(来よったな) 弦太夫の眼が凄味をおびて輝いた。

 我が家の意地を見せてやる、老齢の背中がしゃきと伸びきっている。

 弦太夫は廊下の所々に愛蔵の大刀を、倒れぬように立てかけて廻り、

脇差一本を腰に佩び、愛用の手槍を手に廊下に佇んだ。

 大扉が破られたようだ、玄関からもカケヤの音が響いてきた。

 この歳で斬り死にか、思いもせなんだが武士としては本望じゃ。

 行灯に照らされた弦太夫の顔に、爽やかな笑みが浮かんでいる。

「森弦太夫、まだ浮世に未練があるか」

 声と同時に乱れた足音がし、数名の藩士が抜き身を手に現れた。

「馬鹿者、何人冥途へ連れてゆけるかと楽しみに待っておった」

 厳重な身形の弦太夫が、仁王立ちとなって愛用の手槍を構えた。

「糞っ、このような小細工をしよって」

 藩士等が廊下一本となった屋内の様子を眺め罵声を浴びせた。

「貴様等に分かるか、命の遣り取りとは一対一じゃ」

 弦太夫が歯を剥きだし、不敵な含み笑いを洩らした。

「死ねえ-」 

 怒号とともに一人の藩士が無謀にも廊下をすべり突きかかってきた。

「えいっ」 しわがれ声の気合を発し、弦太夫が手槍をくり出した。

 苦痛の呻き声を残し、襲いきた藩士が廊下に転がった。弦太夫の手練の

槍が、相手の胸板を突き刺したのだ。

「死骸が邪魔じゃ、これでは斬り込みが出来ぬではないか」

 あとから突入した藩士が、廊下のたたずまいを見て驚きの声をあげた。

 弦太夫が軽快な足取りで、跳びはねるように前進し縦横無尽に手槍を

くり出している またもや藩士に犠牲者が出た。

「用心いたせ、爺と侮ってはならぬ。案外と手ごわい」

「馬鹿者、老いたりと言えども貴様等に遅れをとるわしではない」

 叫ぶゃ、さっと手槍をくり出した、相手は素早く身を翻し弦太夫の手元

に躍りこもうとしたが、弦太夫は手練の早業で槍を手元に引き寄せた。

「糞っ」 罵声を浴びせた相手の足元が乱れている。

 それを見逃さず、弦太夫が逃さずと手槍を投げつけたのだ。まさか得物を

捨てるとは思わぬ藩士は、胸板を深々と刺しぬかれ絶叫をあげて昏倒した。

 それを横目に見て弦太夫は立てかけておいた大刀を鞘走らせ、目前に迫っ

た藩士の空け胴に猛烈な突きを仕掛けた。血飛沫が吹きあがった。

 既に弦太夫は四人を手にかけている。

「どけえ-」 怒声をあげ稲葉十右衛門がはじめて弦太夫の前に現れた。

「十右衛門か、倅の仇じゃ」 弦太夫のしわ深い顔が憎しみに歪み、片手殴り

の一閃が十右衛門の肩先を襲った。火花が散った。

 刃と刃が行灯に照らされ交差し、鍔競り合いとなった。

 互いの顔と顔が近づき稲葉十右衛門が、弦太夫の耳元に低く囁いた。

「ご隠居、拙者は昔から弦次郎に嫉妬しておった」

「外道者、我等一家をはめた者は己じゃな」

 弦太夫が大刀を手放すや、脇差を抜き放ち怒りの一颯を送りつけた。

 予期せぬ攻撃を受け、稲葉十右衛門は辛うじて身を引いたが、脇腹に

浅手を負った。  「死に損ないの爺め」

 口汚く罵った十右衛門の必殺業が宙を裂いた。弦太夫が弾かれたように、

態勢を崩した。十右衛門の攻撃で左肩を割られたのだ、弦太夫の息があが

った。(わしも最後じゃな) 冷静に余力を計っている。

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Last updated  Dec 18, 2010 12:23:43 PM
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Dec 17, 2010
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「士道惨なり」(17)

 これは何かの間違いじゃ。弦太夫は門前に佇み去り行く稲葉十右衛門を

眼で追った。倅の竹馬の友と言われた男の変貌ぶりに驚きを感じていた。

 彼の眼の前に人足が現れ、手際よく屋敷を竹矢来で囲んでいる。

(藩は我等一家を皆殺しにする) 弦太夫は悟った。

 なぜ藩が我が家にこのような仕打ちをするのか、彼には理解出来ないのだ。

 だが目前の光景は藩の考えを明確に物語っている。十右衛門が示した

上意書が蘇った。(冤罪じゃ、誰がこのような事を藩に直訴したのじゃ)

 弦太夫は茫然と門前に広がる光景を見つめ、考えを巡らせた。

 どう考えても理解出来ないが、藩士等は殺気を漲らせている。

 弦太夫は怒りを飲み込み、大扉を閉じ閂(かんぬき)をかけた。

 このままおめおめと自害なぞ出来ぬ、藩が藩なら力の続く限り槍働きを

見せ付けてやる。謂れもない憤りが身内を駆けまわっていた。

 彼は玄関に入り、そこにも閂をかけた。

「死罪を仰せつけられましたのか?」 千代が優れない顔色で訊ねた。

「我が家に隠れ忍びの嫌疑がかけられた。暮れ六までの命じゃ、わしは

自害なんぞせぬ。死人の山をきずき我が家の武門の意地を見せてやる」

 弦太夫は背をしゃきつと伸ばし居間に戻った。

「父上さま、夫は亡くなりましたのか?」 香代がひっそりと座っていた。

「香代、弦次郎を討ち果たしたと十右衛門がほざきおったが、奴の腕では

弦次郎は倒せぬ」  「あの稲葉さまが夫を手にかけましたか」

「香代、我等は死ぬ。じゃが、弦次郎は生きておると信じておる」

 飲みかけの茶で咽喉を潤し、深々と座布団に腰を据えた。

(なぜじゃ。あれほど信頼を頂い我が家に、・・・誰の讒訴じゃ)

 弦太夫の脳裡に先刻のふてぶてしい十右衛門の顔がよぎった。

 弦一と路が不安そうに寄りそっている。不憫じゃがわしの手で冥途に

送ることになろう、弦太夫は一家の不運を呪った。倅がおればずいぶんと

心強いが、弦次郎は討ち果たされたと言う。それが真実かどうかは別とし

て無念であった。

「お腹の子が不憫じゃ。わしを許せ、落ち着いたら子供達を奥に移せ」

 神妙に肯き香代は気丈に振舞っている。

 弦太夫は老妻の千代と香代に命じた。

「すべての畳をあげ廊下の横に積み上げるのじゃ。奴等が居間に侵入する

道はこの廊下一筋とする」 

 廊下を闘いの場とすべく考えたのだ。それなれば左右、背後を心配する

必要はない、思う存分に闘ってみせる。

 二人が懸命に畳をあげ積み上げている様子を眺め、彼は勝手口に入り、

一升徳利を持って居間に引き上げた。そうして愛用の手槍を引き寄せ穂先

を眺めた。この歳で槍を遣うことに成ろうとは思いもしなかった。

 女達が仕事を済ませ居間に集まった。

 彼は湯飲みに酒を注ぎ一口飲み干し、老妻の千代に手渡した。

「最後の酒じゃ、それぞれ一口だけ飲み交わせ、また冥途で遭おうぞ」

 弦太夫は二人を見やり、壮絶な笑みを頬に刻んだ。

「貴方、わたし達もご一緒に闘います」 千代の瞳は澄んでいた。

 死を覚悟した者の瞳の色であった。

「それはならぬ、わしの足手まといとなるわ」

 弦太夫が声なく破顔した。二人の孫が心労で居眠りを始めた。

「香代、子供達を奥の部屋にの」

 香代は子供達を寝かせつけ、心中で訊ねていた。

(貴方は亡くなられましたのか、わたしも子等も直ぐに参ります)

 そっとお腹をさすった、お腹の子が動いたように感じられたのだ。

「千代、腹が減った。握り飯を頼む」

 弦太夫が命じ苦笑を浮かべた、最後まで妻に苦労をかけることになったと

思ったのだ。屋内に闇が覆いはじめた、外は薄暮となっておろう。

「千代、香代ここに参れ」 二人がひっそりと弦太夫の前に座った。

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Last updated  Dec 17, 2010 11:56:00 AM
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