士道惨なり(最終回)
「士道惨なり」(最終回)「稲葉っ、殿をお救いいたせ」 望月大膳が悲痛な声をあげた。「承知」 稲葉十右衛門が馬上から飛び降り、着地と同時に抜刀し身構えた。「十右衛門、この時を待ちかねたぞ」 弦次郎が村正を垂らし、うっそりと十右衛門に近づいた。 二人の身体から剣気が立ち上り、壮烈な空気が焼け跡を覆った。 その間に藩士が駆けより、殿の忠義の周囲を固めている。 稲葉十右衛門が正眼から、切っ先をやや斜めに構えを移した。「それが貴様の刀法か、見たことのない構えじゃな」 弦次郎が稲葉十右衛門を余裕で揶揄った。どのような業であっても、必ず倒す。弦次郎はそれだけの決意を秘めていたのだ。 藩士が忠義を救い出し、どっと弦次郎に殺到してきた。「手出しは無用じゃ、これは拙者と弦次郎と一対一の立会いじゃ」 十右衛門が藩士を制し、身体を低め大刀の切っ先を地面すれすれとし構えた。それは尋常な構えと違い異様な圧迫感を弦次郎に与えた。「それが忍び者の刀法か」 弦次郎が村正を左上段に移し、眼を細め十右衛門に問いかけた。「・・・」 十右衛門は無言でじりっと前進を始めた。「貴様に引導を渡す」 弦次郎が一歩後退し、ゆっくりと斜め上段へと構えを移している。それは心形流、霞の太刀と呼ばれる必殺業であった。 二人の対峙が続き、風が容赦なく吹き抜けた。十右衛門がそげた頬をひくっかせ、鋭い眼差しに凄味をたたえ更に身体を低めた。「弓矢じゃ、殺せ」 望月大膳の下知で藩士が弓に矢をつがえた。「黒岩藩、汚し」 「弦次郎、臆したか」 十右衛門がすり足で接近し、必殺の突きを仕掛けた。弦次郎が身体を開き十右衛門の刃が流れた。見逃さず村正を拝み討ちに振り下ろし、二人の位置が逆転した。十右衛門が無念そうに奥歯を噛みしめた。額から血が滴っている。「矢を放て」大膳の声で数本の矢が弦次郎に襲いかかった。 弦次郎が身体を地面に倒し矢を防ぎ、起き上がるや藩士の群れに飛びこんだ。村正が唸り光芒が奔った、数名が朱に染まっている。 弦次郎が軽快な足さばきで十右衛門に迫った。それを感知した十右衛門は、渾身の一撃を弦次郎の肩先に送りつけた。それは獣のような攻撃であった。 弦次郎も負けずと攻勢にでた、ぞくに言う袈裟斬りである。受けた十右衛門の大刀が金属音をあげ、半ばより両断された。凄まじい業である。 十右衛門は身を捻って逃れんとしたが、弦次郎の太刀が早かった。 十右衛門は脇腹から胸板にかけ存分に斬り裂かれた、村正が彼の骨肉を絶ち、陽光を受け跳ね上がり天を指した。 稲葉十右衛門がかっと眼を見開き仁王立ちとなっている。 心形流の霞の太刀を浴びたのだ、暫く立ち尽くしていた十右衛門の脇腹から、血潮が噴水のように吹き上がり、どっと焼け跡に崩れ落ちた。 取り巻いた藩士から恐怖の声があがり、弦次郎はうっそりと佇んでいる。 その彼の前に忠義の蒼白な顔があった。「拙者の勝ちにござる、これで冥途の家族に良き手土産ができ申した。最後に申し上げる、隠れ忍びは稲葉十右衛門でござった。おめおめと謀られましたな」「馬鹿を申せ」 恐怖にかられ忠義が絶叫した。「愚かなり黒岩藩主」 弦次郎が揶揄した時、一斉に矢が放たれ背に数本突き刺さった。「卑怯な」 弦次郎は村正を杖とし立ち尽くしたままでいる、それは壮烈極まる姿であった。藩を相手に激闘を終えた悲劇の男の姿である。「あと一刻ほどで幕府高家の戸川加賀守さまが当地を通過される。これで黒岩藩は終わりにござるな」 血を吐くように弦次郎が告げた。「なんと」 忠義と望月大膳が顔を見つめあった。「遅うござる、拙者がお知らせ申した。この村正を密かに入手し、隠れ忍びの冤罪を我等に科したことは明々白々にござる」 弦次郎の手には血潮を吸った村正が握られている。 風切り音が弦次郎の耳朶をうったが、弦次郎はかわさず自分の胸で受けた。 深々と矢が彼の胸に突き刺さっている。「これで・・・黒岩藩は潰れたわ-・・」 口から血を滴らせた弦次郎が最後の叫びをあげ、ゆっくりと青空を仰ぎ見るような姿勢で倒れ伏した。その顔には満足そうな笑みが浮かんでいた。 「了」 今回をもちまして「士道惨なり」は完結いたしました。拙い小説にお付き合いいただき、心から感謝申しあげます。士道惨なり(1)へ