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カテゴリ:スキンダイビング
見直してみて、僕はやはり、この最初の「グレート・ブルー」で良い。 僕のグラン・ブルー一連の話は、まず、フリーダイビングから始まった。日本のフリーダイビング選手権大会で、救急監視のリブリーザーダイバーの死について考えた。 そして、そのタイミングで、友人の関さんが書いた(訳したというよりも書いた)ジャック・マイヨールの「イルカと海に還る日」が文庫本になって出た。買って読んだ。これも二度目だったと思うのだが、マイヨールの自殺と、老いについて考えた。 そして、映画「グラン・ブルー」を思い出して、思い出した状態で勝手なことを書いた。それから、「グラン・ブルーの本、リュック・ベッソンのすべて」を本棚から探し出して、読んだ。リュックのことをいろいろ勘違いしていたこともわかった。 それから、グラン・ブルーのメーキングビデオをもう一度見た。 このビデオで、日本で名前が売れているジャン・レノが、ほとんど泳げなかったのに、2週間の練習で、スキンダイビングで30Mまで潜れるようになったと言っていたことを思い出したのが、この一連の始まりだった。 僕は昔、30M潜った。ようやく30M潜ったのだが、役者のジャンが、30mに簡単に潜ってしまう。しかし、ジャンはブラックアウトをなんどかやっている。その状況もメーキングビデオに入っている。監視が居なければ、死んでいるような感じだ。 そして、最後にグランブルーのビデオにもどった。1988年の製作だから、もうはるか彼方だ。記憶違いもいっぱいあった。 まず、思い出したのは、この映画を最初に見たとき、映画のジャック・メイヨールと実際のマイヨールとは違う。正反対の性格のようにも思えた。そして、実在のエンゾ・マヨルカも映画のエンゾ・モリナーリとは全く違う人物だということ、この映画はノンフィクションではない。素潜り競技を題材にした、全くのフィクションであった。しかし、エンゾとマイヨールと実名を使っている。そして、映画製作の動機には、本物のマイヨールの存在がある。 ジャックとジョアンナ、エンゾ、そして、イルカとの愛の物語をリュックは創った。僕が感動した部分が、スキンダイビング(今ではフリーダイビング)であったのか、イルカのストーリーであったのか、それとも作り出された、三人の人物、特に、エンゾとジャックの友情のストーリーであったのか、水中撮影であったのか、よくわからなくなっていた。 もう一度、見直して思い出した。 ジャックは、エンゾに呼び出されて、深さを競う競技会に来るのだが、ジャックは、自分が勝つことを知っている。そして、勝つことが、幼馴染で大好きなエンゾを傷つけることを知っている。でも、ダイバーの本能は深く潜りたい。競技に勝ちたいというよりも、深く潜りたいのだ。エンゾに勝ちたくは無かった。そして、120Mの記録を出して、エンゾに勝ってしまう。 映画では、120Mが潜れる限界であり、それより深く潜ると、酸素が足りなくなって人間は死んでしまうと言っている。これは、もちろん間違いであり、現在では200M近くまで人間は潜っている。エンゾが倒れたのは、シャローウォーター・ブラックアウトのためだと思っていたのだが、映画のナレーションでは、そのように語ってはいない。少なくとも、テロップでは、酸素の不足による限界と書いている。実際に、この失神のメカニズムを一般の観客に説明し、理解させるのは、ほとんど不可能だろう。酸素不足であることには間違いがないのだから、映画としては、これで良いだろう。言うまでもなく、リュック・ベッソンが知らないわけではない。彼はダイバーのプロでもある。 もう一度、見直して、エンゾが死んでしまっていることを確認した。実際のエンゾは、生きているので、映画で死んでいるとは記憶していなかった。ジャックは、彼を抱いて深みへ沈めてしまう。遺体の引き揚げなどとは別の宇宙の話だ。無意識のうちに、僕は日本人だから、葬式をだしていないと、死んだという印象が薄かったのかもしれない。 自分が勝ってしまったことが、エンゾに限界を超えさせて、そして死なせてしまった。ジャックは、その悲しみに、耐えられない。 そして、ラストシーンは、妊娠しているジョアンナが必死に止めるのを振り切って深みへ潜ってゆく、自殺のようにもとれる。そして、出迎えるイルカの幻影に泳ぎよって行くところで映画は終わる。 深海での陶酔を意味しているのであろう。メーキングビデオで、こんなナレーションがあった。深く潜ると、人魚が出迎えてくれる。向き合って見つめあう。見つめあう眼差しが真摯であれば、誘ってくれる。ダイバーは、こんな風に死にたいと思っている。 ジョアンナが妊娠をジャックに告げようとしたとき、水面で泳ぎながら、告げるのだが、ジャックはイルカのように潜ったり顔を出したりで、聞いていたのかいないのかわからない。ジャックは、イルカなのだ。人間の女の心はわからない。 それにしても、なぜ実在のマイヨールは、女に未練を残して、戻ってるように懇願して、首をくくって死んだりしたのだろう。理由は簡単、実在の人間であり、創くられた人物ではなかったからなのだが、どうせ死ぬならば、イルカと海に還ってほしかった。 実在のマイヨールが死んだ時、映画グランブルーでは、馬鹿にした日本人だけが、葬儀に駆けつけた。マイヨールは、イルカになれないのだったら、日本人になれば良かった。 数日前、30日、海洋大学の館山実験センターに立ち寄った。海洋大学では、サカナ君が非常勤の准教授とかになっている。母校のミーハー化を悲しんでいるが、マイヨールが館山に居れば、非常勤の教授になれたかな。 忘れていた。国立大学では、非常勤でも、64歳が停年だった。マイヨールも停年をすぎているから、特例は認められないだろう。多分。僕も64歳で筑波大学を停年になった。日本では、なんとかして、高齢者を殺そうとしている。医学的には長生きさせようとし、心情的には、少しでも早く処分したい。残された道は、海に還るしかない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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