番外・・・TOM-Uさんへ。
番外・・・TOM-Uさんへ。 書き込み有難うございます。 久しぶりに色々考えることが出来ました。 「うつ」の私は考え始めると・・止まりません。 それに。 かなり「身勝手な内容です」ので・・怒らないで・・ください。 また。 こうして日記に書くのは。 「返答用のコメント欄」では字数が足りません。 って・・言い訳しながら・・も。 今回の日記の「ネタ」に・・なります・・し。1 「お笑い」の『芸』について 私は、関西出身ですので、生まれた時から「落語」や「漫才」、「吉本新喜劇」の中で育ちました。 そのトラウマなのか。 『お笑い』は、「ネタ」や「しゃべくり」よりも、 『間(ま)』が気になります。 『夢路いとし・喜味こいし』師匠は。 「ウチの妻(さい)が・・」 「えっ。君んとこは・・犀(さい)飼うてんのかっ?」 ・・なんて。 何時も同じ「ネタ(マクラ)」なのに。 何回聞いても、二人の絶妙な『間』に笑わせられました。 「植木等」先生の。 「えっ。お呼びでない。・・そんじゃまぁた。・・失礼しましたっ!」 ってのも・・『間』が命です。 突然、現れて「寸劇」全体の流れを止めては。 「訳の判らないことを始める」のですが、それ自体は、全く面白く・・ない。 いや、面白くないから・・一瞬、客が引く「空白」が生じる。 その間隙を見据えて「えっ。お呼びでない・・」って台詞が入る。 その絶妙のタイミングに、思わず笑ってしまうのです。 そして、関西人なら素人でも「ネタ」は作れますし、 上手い「しゃべくり」なんて街中に溢れています。 でも、その時々の相手(客席)の「雰囲気」や「温度差」を、 身を持って感じない限り、絶妙な『間』は打てません。 それは。 幾ら「頭の中」で考えても・・如何しようもない。 だから。 一所懸命、自分を磨いて、必死に身に付ける。 それが『芸』だと思うのです。 ですから「間かん平」以降の。 「ギャグ」なんて言っては、無節操に「同じ言葉」を叫ぶだけ なんて・・コントや漫才では・・全く笑えません。 今は「初めから笑おうって客」ばかりですから、関係ないんでしょう・・が。 ・・寂しいことです。 あっ。 「鳥居みゆき」です・・か? 彼女は・・「観客」どころか「共演者」さえ・・無視してます。 それのドコが『芸』なんだっ?・・って。 だって。 ・・キレイ(好みのタイプ)なんだもの。 キタナイより・・マシじゃないかっ!2 「マス・コミニュケーション」について 私は、散々「マス・コミニュケーション」の悪口ばかり書いています・・が。 一応彼等は「クリエータ」だと考えています。 日々「ルーティン・ワーク」を繰り返すだけの「木っ端役人」の私とは違って、 「研究者」や「創造者」は、毎日24時間全部が仕事時間なのでしょう。 ですから、彼等が毎月大金を貰っていても、それは「仕方ない」って諦めています。 また「客が求めるもの」を「売る」のが「商売の鉄則」なのでしょう。 NHKは関係ないのでしょーが。 その「マーケティング」が「視聴率」なのなら、 「視聴率至上主義」も仕方ないのかも知れません。 結局「諸悪の根源」は「民度の低い日本国民」なのでしょう。 でも。 「民放」が「報道」なんて云うのには。 オコガマシイっ! って・・激怒してます。 奴等の「ミス・リーディング」や「世論誘導」が。 今の「衆愚政治の元凶だ」と確信しています。 証拠なんて・・何処にもありません・・が。3 「TVの将来」について 私も以前は、「CS」や「ネットの動画配信」など。 「圧倒的なチャンネルの放送」が開始されれば 「TVなんか見向きもされなくなる」 と・・考えてました。 でも。 ゴク偶に「民放」を観ると4~5時間ダラダラと観続けてしまいます。 「CS」や「ネットの動画配信」よりも、それなりには「面白い」のです。 まあ。「番組」よりも「CM」の方が、「新鮮」で「面白い」のです・・が。 ですから。 私の個人的なレベルでは。 「TVを生活の中心に置く現在の一般的な生活」を根本から変えてしまう程の 「新たなビジョン」を提供するのは、 「ネット事業者」や「その運営者」には・・荷が重いだろうと考えています。4 「コミュニティ」に関する「ネット社会の可能性」について 「携帯」は、個々人の間に「独自のコミュニティ」を形成しましたが、 それは「ネット事業者」や「その運営者」によって与えられた 「メソッド活用の範疇」では・・ないのでしょうか。 確かに。 「女子中学生同士」とか 「同じ趣味のサークル」とか 「地理的な条件」で「今までなら知り合うことすら出来なかった者同士」 による「コミュニティ」が、形成されました。 そこでは。 同じ視点で、それなりに満足できる「お話」は出来るのでしょう。 でも。 仮に「階層が違う者同士」や 「民族を超えた者同士」の 「コミュニティ」が形成されたとしても、 「本質的な議論は不可能だ」と危惧します。 「形而上的な議論」や「抽象的な議論」は、本質的に人を選びます・・し。 「夫々の民族の歴史的背景に根ざす異なった思考方法」は、 「国境」なんて比べ物にならない程の大きな障壁です。 「ネット・コミュニティにおける影響」が、 「その障壁を少ずつ低くしていく」のでしょうが、 「現実に生活する社会からの影響が消え去る」 なんて・・私にはとても想像出来ません。 現在の「ネット事業者」や「その運営者」の提供する「メソッド」は、 或る意味「村社会の焼き直し(バージョン・アップ?)」に過ぎない と・・考えています。 そして。 「全く新しい視点によるコミュニティへの本質的な障壁」は、 「ネット」なんて云う「スキル」とは別の処にあるのではないのでしょうか。 ですから。 将来的に見ても「ネット事業者」や「その運営者」は、 現状を超えた「全く新しい視点によるコミュニティの創造」はオロカ 「その方向付け」すら提供出来ないのではないか? と・・私は「ネット社会の拡張性」について非常に懐疑的です。 以上。勝手に書き連ねてしまいました。 あ~ぁ。楽しかったっ!