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林沖

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石月賢一@ Re:また関係ない話ですが(05/14) S君、情報ありがとう。 今度行ってみます…
石月賢一@ Re:また関係無い話ですが。(05/14) S君、情報ありがとう。確かに接骨院のライ…
S君            .@ また関係ない話ですが 私は関係者ではないのですが中古タイヤで…
S君            .@ 訂正。 「たみの野田医院県央」ではなく「いたみ…
S君            .@ また関係無い話ですが。 三条市にこのような病院ができました。 医…
2010.01.05
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カテゴリ:西忍寺道場
皆様、新年明けましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いします。

なかなか忙しくて、ブログも時々の更新になっていますが、時々はのぞいてみてください。

それでは、武術のお話、はじめましょう。

今日は、現代における武術の存在意義について・・・。


武術は、上手な世渡りの方法とか、お金の儲け方とか、恋愛必勝法などは教えてくれない。

もし、それを武術から学んだという人がいれば、その人は武術からでなくても、他のどんなも

のからでも学んで活かすことのできる人だ。


武術を学んだから礼儀正しくなった・・・・なんて、そんな人はめったにいない。

武術を学んで礼儀ただしくなった人がいるとすれば、それは、武術に伝わっている礼儀の意味

を深く掘り下げ、そこから礼儀そのものについての考察を深めていったからだ。


武術を学んだから度胸がついた・・・・なんて人もきわめて少ない。

度胸がついた人は、死ぬ気で打ち合いをする中で、呼吸法や座禅などを研究して、度胸をつけ

る努力をしたからだ。

技を習い、それを繰り返すだけでは、度胸なんてつきようもない。


武術を学んだからといって、日常生活で隙がなくなるということはない。

いくら武術を学んでいても、そそっかしい人はいくらでもいる。

からだのあちこちをぶつけたり、コーヒーや水をこぼしたり・・・・・・。

もし、隙がなくなったという人がいたならば、その人が道場で稽古しているその感覚を、日常

生活でも保つように意識して努力してきたからだ。


武術が現代に存在する価値があるかどうかは、武術の存在そのものが決めるのではなく、武術

を学ぶ本人が決めるのだ。

何を目的とし、何を掘り下げていくか?

それは個人のテーマであり、武術のカリキュラムが手取り足取り身につけさせてくれるわけで

はない。

ただ漫然と稽古しているだけでは、個人が日常で抱えている問題の答えなど出てくることは

ないのだ。


人が自分の能力を高め、人格の向上をはかっていくために選ぶのは、武術でなくても世の中に

いくらでもある。

武術には、哲学があり、文化があるといっても、哲学や文化というジャンルを直接選んで学べ

ばよいことで、いや武術は、それが身体操作と密接に絡み合っているといっても、そういった

ことは茶道でも華道でも、能でも狂言でも同じことなのだ。


ただ、たったひとつだけ、武術でなければ学べないことがある。

それは、効率のよい体の使い方だ。他のジャンルでは得られないほどの緻密で計算されつくし

た体の使い方だ。

力や反射神経に勝る相手をどう扱うか?

これを徹底的に追及してきた武術の動きは、いかに自分の負担を軽くして成果を大きくするか

を目的に、現代人が思いもつかないような動きを蓄積し、伝えてきている。

武術をまじめに学び続けていれば、礼儀や度胸は身に付かなかったとしても、この特殊な身

体操作法のエッセンスだけは体に残る。

それは、利用のしかたによっては、充分世のため人のために役立てることができると思う。

たとえば、介護の技術とか、肉体労働あるいは、老化による体の負担の軽減など・・・・。


文化の存在意義は、それを学ぶことによって得たものが現代社会に還元できるものであるとい

うことが、必要条件だと思う。

そういった意味では、殺人技術を集めて伝えている武術の存在意義は、無い!といってもいい

のかもしれない。

しかし、それでは元も子もないので、武術愛好者たちは、やれ礼儀だの文化だの哲学だのと無

理やりこじつけて武術の存在意義を訴えているが、それは無理があると思う。

それよりも、武術は「技術」そのもので、充分現代社会に還元できるということを武術愛好者

は、もっと自覚するべきだ。この技術をもっと積極的に日常生活に使っていくことを考えれ

ば、精神論や文化論をむりやり振りかざさなくても、武術の現代における存在意義は、充分に

世の中に理解されると思う。





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Last updated  2010.01.05 17:10:51
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