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テーマ:ビールを語ろう(2284)
カテゴリ:ビール
快晴に恵まれた5月3日、キリンビールの
横浜工場に行ってきました。 『キリンビアビレッジ』=ビール村という ことですが、敷地はそれほど広くないながらも 芝生の庭とビオトープや遊歩道などもあり、 よくまとまった施設です。 ビアビレッジの最寄り駅は京浜急行の生麦駅。 見学の前に昼飯はどうしようかな、と探して いたらこんなお店がありました。 テレ東のTVチャンピオン優勝経験があるらしいです。 キッチンひらやま亭 ![]() 和牛を使ったビーフシチューがメイン料理。 きちんと、その日に使用している肉の素性を 掲示しています。トロトロのお肉が嬉しい♪ 生麦駅は各駅しか止まらない小さな駅ですが、 探せばそれなりのお店があるもんですね。 さて、生麦といえばもう一つ思い浮かぶものが… そう、生麦事件! 文久二年八月二十一日(西暦1862年9月14日) 横浜村在住の4人の英国人が川崎大師に馬で 遠乗りに行く途中で薩摩藩主島津久光の行列と 遭遇、すれ違おうとしたものの大名行列の 邪魔をすれば斬り捨てられることを知っていた 一行は恐れで緊張して馬の操縦を誤り、結果的に 列を乱してしまいます。 4人のうちリチャードソンは死亡、マーシャル、チャールズは重症、 唯一の女性であるマーガレットは帽子を切り払われました。 一、 左 腕甲二寸程 一、 同 背先腕江かけ四寸程 一、 同 顎より胸江かけ八寸程 一、 同 腹 大疵 一、 喉 差通し候様子 一、 右の腕首大方切落とし候様子 リチャードソンの死体検分書はこう書かれていたそうです。 まさに、滅多切りですね。 薩摩藩士は一撃必殺の豪快な流派の剣術を身につけて いたそうですので、ひとたまりもないでしょう。 ただ、これだけの深手を負いながらも、リチャードソンは 数百メートル逃走して現在のキリンビアビレッジ入口付近で 息絶えたそうです。 事件現場のプレート(もろ一般家庭ですw) ![]() リチャードソンが斃れた現場に立てられた祠と碑。 ![]() ![]() ご存知の通り、この事件がキッカケで薩英戦争が 勃発し、外国の武力を身をもって体験した薩摩藩は 攘夷論を捨てます。 まさに、そのとき歴史が動いた。 先導組をなんとかやり過ごしたリチャードソン一行が 続く本隊を目にしたときの様子を、小説家の吉村昭は 『生麦事件』(新潮文庫)でこのように描写しています。 「しかし、かれらは、またも前方から行列が進んでくるのを眼にした。 しかも、それは今過ぎていった行列よりもはるかに規模が大きく、 長々とつづいている。 マーシャルたちは馬をとめた。陽炎にゆらぐ行列が、街道にひろがって 進んでくる。マーシャルの胸に、引返そうかという思いがうかんだ。 近づいてくる行列に重苦しい圧迫感をいだいたが、馬がゆるやかに 歩き出し、他の馬もそれにならった。 なにか得体の知れぬものに突き動かされるように、かれらは馬の 動きに身をゆだねていた。」 歴史にたら・ればはないけれど、もし引き返していたら… そんなことを思いながら、事件から140年以上経った生麦で、 僕は、リチャードソン達が行列に引き寄せられたその道を ぼーっと眺めていました。 ![]() やべっ、ビールの話してねぇ Σ(ノ°▽°)ノ 人気ブログランキングに参加しています。 すんません、ビール話はvol.2で…その前に… 「ポチッ」っと、よろしくお願いします m(_ _)m リンク先はお酒に関する名ブログ満載のランキングサイトです。 クリックで救えるブログがある… ↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓ ![]() 人気blogランキングへ お時間のある方は酔ってって(^^) 「酔考録」最近の記事リストはこちら→@ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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