岩手の神様仏様 その2~大籠~
さて、前回に引き続き藤沢町内を走っていると、こんなところを見つけました。こんな東北の山奥にキリシタン??私、なんとなく、キリシタンといえば九州とか西日本をイメージしておりました。しかし!実はここ藤沢町大籠には、切支丹王国ともいうべき村があったのだとか。そもそも、山地だったこのあたりは、農業で生計を立てるのが難しい土地でした。そこに製鉄の技術を伝えるため備中から招聘された千松大八郎・小八郎の兄弟、恩人でもある兄弟の勧めと、この地を訪れたフランシスコ・バラヤス神父の布教活動によって、村はあっという間に全村挙げてキリスト教を信仰するようになったようです。伊達領だった大籠、製鉄に力を入れていたこともあり、禁止令が出てからしばらくは鉱夫にキリシタンがいても、ある程度黙認されていたとか。しかし、禁令は日増しに厳しくなり、とうとうこの地にもキリシタン迫害の波が及びます。 …というわけで、多くのキリシタンがこの地で殉教したそうです。 近くで見つけた「地蔵の辻」。こちらも、キリシタン殉教の悲しい歴史を伝える場所です。 手書きの看板が、一層の無常感を醸し出しております。この看板によると、二百名を超えるキリシタンがこの地で刑死したようです。菩提を弔うためのお地蔵様…本来であれば、キリスト像なりマリア像なりを祀りたいところかとも思うのですが。 今は首から上がなくなってしまっているお地蔵様。このお地蔵様の台座がこちら…文字が刻まれているのが分かります。ひっそりと刻まれたこの文字は、お地蔵様を建立した人々の名前ですが、多くが「~妻」となっています。多くの鉱夫がキリシタンだったこの村。残された女たちが、処刑された夫の菩提を弔うために建てたお地蔵様に込められた思いはいかなるものだったのでしょうか… さらに傍らのこの石。こちら、首実検石…というわけだそうです…検視役も気の重い役目だったはず。なんとも悲しい歴史です。 地蔵の辻の名の由来になったお地蔵様以外にも、ここには死者の冥福を祈るお地蔵様が何体も建てられています。さまざまな思いがこもったお地蔵さまは、もの悲しくも淡々と立ち続けておりました。 草陰に埋もれていたお地蔵様。よく見ると、善童女の文字が見えます。女の子の為のお地蔵様なのでしょう。キリシタンとして処刑された少女なのかはわかりませんが、胸が痛みます。 のどかな春の日、ほんの道端の木陰には、なんとも悲しい歴史が埋もれていました。世界中で宗教に絡んだ争いが絶える日は来るのでしょうか?それぞれはけして間違っているわけではないはずなのですが…しみじみと考えさせられたひと時でした。 さて、ちょっとした道草のつもりが、本日のメインになってしまいました。この後は、わき目も振らず遠野へ…なかなか遠野へ着きませんが、もう少しお付き合いください。次回へ続く。 よろしければ、どうぞ↓ 美味しさ30年のベストセラーふわっと超濃厚♪希少チーズをオールハンドメイドのこだわりの美味...価格:2,850円(税込、送料込)岩手は内陸部から復興しつつあります。ぜひ。