テーマ:むかし憧れた クルマ達(25)
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嫁さんと 子どもと3人 924で
伊豆は伊豆は修善寺のサイクルセンター行った帰り 私はサイクリングも好きで ロードレーサーで風邪きって 良く走るのですが 大阪 富田林にもサイクルセンターあるんですが ここ 修善寺のサイクルセンターは コースも設備も遥かに良いんですね で 東名の静岡を過ぎて焼津に向かう 日本坂トンネルの手前 工事してたんですよ 片側 1車線に絞って 日も暮れてだいぶん時間経ってたと思います あたりは暗く 8時か9時頃 当然 スピードも落ちて 前のクルマにつかえて渋滞です その時 後ろからくるんですよ トラックが スピードも落とさずに 始めは何気なく後ろ見てたんですが トラックの運転手は居眠りか 前が渋滞で止まってること気がついてない ドンドンそのトラックが迫ってくる これは危ない ぶつかるかもしれない おい あぶない~ しっかりつかまれ こっちは渋滞で止まっている 車線は1車線しかないので 逃げる道がない 迫ってくる トラックをただ クルマの中から見守るしかない わぁぁぁ~ あぶない ぶつかる~ トラックの運転手 やっと気づいた様子 急ブレーキをかけた 車体がかなり前のめりになっているのが こちらからもはっきり分かる トラックのテールも滑っているよう あぁぁ~ もう ダメだぁ~ トラックの運転手 両手を伸ばして 思いっきりブレーキ踏んでいる ルームランプいっぱいにトラックが 写った時 間一髪 寸でのところで止まりました トラックが この間 ほんの5秒くらいのことですが 心臓バクバクでした ほんとうに一時は覚悟を決めた その横で 嫁さんと 子どもは 寝てました おまけ 静岡の昔話 無間の鐘 聖武天皇の天平の頃(729~748年)のこと。 小夜の中山の東、菊川村に一人の仙人が住んでいました。 あるとき、不動明王を信仰して毎日お祈りをしていたこの仙人は、村の人々からお布施をあつめて、淡ヶ嶽(粟ヶ岳)の頂上に大きな釣鐘をつるしました。 この淡ヶ嶽の釣鐘の音は、広く遠州に響きわたり、評判になりました。誰が言いだしたのか、 一つつけば、事故や災難をまぬがれ、 二つつけば、病気にならず、 三つつけば、家内安全、 四つつけば、運が開けて出世する、 五つつけば、子宝に恵まれ、 六つつけば、幸運がつづき、 七つつけば、大金持ちになる、 などというご利益が伝えられました。 このうわさを聞いた村人たちは、われさきにとこの寺へおしよせました。 ところが、この山の道は険しく、みなが争って先を急ぐために、途中で谷底へ落ちてケガをしたり、死ぬ人まで、たくさん出てきました。 この姿を見た寺の住職は、人々の欲の深さにあきれ、 「この鐘をつくった仙人の願からはずれる?」と、鐘を井戸の底深く投げ込んでしまいます。 それから後、この井戸を「無間の井戸」といい、今も粟ヶ岳の頂上に残っています。 粟ヶ岳 小夜(さよ)の中山 東 菊川とありますから 夜泣き石のあるところの近くですね 芥川 竜之介のクモの糸に 相通ずるものがありますが よかれと思って行ったことが 不幸に結びついたってことよくありますね 子ども達のためにと 残した財産 結果的に骨肉の争いになって なんてことありますね でも うちの子ども達は幸せだぁ だって 財産と呼べるもの全然ないんだから よかったらクリックしてください お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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