今年度抱かれたい姉さんNo.1 『女戦士』
お久しぶりです。なぜか交通事故に遭ったりしてましたが、概ね元気です。キングスマンも3回観たんですが、今回はこちらについて書きます。10/9~10/23にヒューマントラストシネマ渋谷にて開催中の「インディアン・フィルム・フェスティバル・ジャパン2015」に行ってきました。その中でもっとも感銘を受けた作品がこちら。ブラディープ・サルカール『女戦士(原題:Mardaani)』(2014年・インド・ヒンディー語・113分)(ストーリー)※若干ネタバレ有 シヴァーニー(ラーニー・ムカルジー)はムンバイ警察犯罪課の女性刑事。犯罪捜査とあらば全力疾走でバイクに追いつき、家でも筋トレを欠かさず、多少の無茶も気にしない度量を持つ彼女は、そのタフさもあって部下たちの信頼も篤い。家では医師の夫・ビクラムと両親を亡くした姪のミーラを引き取って、三人で仲良く暮らしている。シヴァーニーたちはミーラの友達で孤児の少女・ピャーリと懇意にしていたが、ある日を境にピャーリが孤児院から行方不明になってしまう。 怪しんで捜査を始めたシヴァーニーは、ムンバイやデリーを中心に国際的な人身売買と麻薬密売で暗躍するマフィアにピャーリが誘拐されたことを突き止める。一人、また一人と幹部を確保して黒幕に近づくシヴァーニーに、黒幕というには若すぎる声の男から脅迫の電話がかかり、事態は二人の知恵比べの様相を呈していく。 敵の本拠地を突き止めたシヴァーニーはデリーに乗り込み、地元警察と協力して麻薬密売ルートから黒幕に迫るが、現場にいたのは電話の男とは違っていた。ピャーリの行方もわからないまま、デリーの警察上官たちは麻薬密売の本拠地発見を理由に捜査の終了を言い渡す。 組織を離れて単独でピャーリの行方を探すシヴァーニーは、ついに電話の男にたどり着くが…いやーすごいインドだった!!!観終えたあとの自分のメモ読み返したらほとんど「インドすごい」「インドつよい」「インド!!」みたいになってて何言ってるんだって感じでしたが、ここでも思いのままによかった点をいっこいっこ書いていきたいと思います。※ここからネタバレ●俺たちはこんな女デカを待っていた感 主人公のシヴァーニーは30代半ば~40代と見られる中年女性刑事。家では旦那が「目薬注して~」とか言ってても筋トレし続けたり、寝起きに自分を狙うマフィアから脅迫電話を受けても平然とジョークを交えつつ「お前を30日以内に狩る」宣言したり、人ごみの中とはいえ走ってバイクに追いつく、街のチンピラにも懐大きく構えて尋問する、大男の部下たちをアゴで使って指示するなどなど、豪胆で有能で用意周到で肉体的にも強い、典型的なインド映画におけるヒーロー刑事の性別が変わっただけの設定です。さすがに鼻の穴で銃弾受け止めたりはしませんが。本編には『チェイス!』(『Dhoom』シリーズ最新作の邦題)ネタが地味に入り込んでいますが、シヴァーニー姐さんのクールさはアビシェーク・バッチャン(『Dhoom』シリーズのイケメン刑事の中の人)を意識したものかもしれません。 日本にいて通常観る刑事もの作品に出てくる「有能な善玉の女性刑事」のほとんどが、スラッとした細身の若い女性で解析や聞き込みなどのシャドウワークに長けていたり、男性キャラクターとの対比用に「優秀だが頭でっかちで人間味がない」キャラを背負わされたり、「実は家庭的」「恋愛にはウブ」という何か気持ちの悪い設定が付け足されているのが常な状況にいると、豊満でいかにも「闘える身体の中年女性」といった風情のシヴァーニー姐さんは新鮮。彼女の家庭生活のシーンに「家事育児を頑張っている」描写が特になく、それでいて家族仲も円満という当たり前な感じも嫌味がなくてよかったです。『チェイス!(オリジナル全長版)』『キューティ・コップ』 先日、同じく女性警官が主役として活躍する『キューティ・コップ』(リース・ヴィザ―スプーン主演)を「おっ、いい女バディものだね!」と観たばかりでしたが、あちらが自然体の等身大女性だとすると、『女戦士』は本当にマッチョ。少なくともラスボスの前で自ら銃を捨てて「オラッ相手したるわ!」とばかりに上着を脱いで肉弾戦に持ち込む刑事(デカ)とか平成になってから初めて観た。昭和か。 『ハトよめ』の「無駄よ、結局最後は肉弾戦よ」がチラついて茫然としました。●性犯罪を描きながら子供に負担を負わせない描写 性犯罪について告発する、というテンションの作品でよくあるじゃないですか。悪事のはずなのに思いっきりポルノ目線で、明らかに作中の「ごほうび描写」なやつ。もしくはもう完全に主人公側がキレて殴り込みに行く起爆剤扱いになってるやつ。または「身体だけは発達してて小生意気なガキに性的にお仕置き」的な、子供側に罪悪感をなすりつけるやつ。あれが全然ないです。非道なことをされていることは確実にわかるけど、カメラワークで彼女たちの裸体は最低限しか映さない、「落ち度」を言わせる余地を作らない、作中でだれも彼女たちを責めず、傷物扱いしない。韓国ノワールや欧米でのそういったテーマの作品でも、最近は「男の沽券ばかり気にして被害者のケアをなおざりにするな」というのがよく見かけられるので、ガラパゴス日本以外ではわりと世界的な潮流なのかもしれませんが、性的なシーンもはっきり「暴力」としか見えない記号で作られていたため、フラッシュバックをあまり心配せずに観ることができました。(これは個人の感覚で変わるので断言はできませんが…)●ここまでインドだと文句のつけようがない 完全にネタバレなんですけど、この映画は被害者少女たちによるラスボスへのリンチで結末を迎えます。本拠地に踏み込まれ、シヴァーニー姐さんにボコボコにされたラスボスが「それでどうする?ここはインドだ!いくらでも揉み消せる」と言うと、彼女はこともなげに「ここはインドよ。私一人だと警官の制裁だけど、大勢がやれば『市民の怒り』になる」と言って立ち去り、残った被害者少女たちが満身の怒りを込めて蹴り殺そうと攻撃する。実際死ぬ。被害者少女からは笑顔が戻ったそうです。…。あ、そうなんですね。インドなんですね…。暴力では解決しないとか言ってるどころじゃないですね…。みたいなボンヤリ顔になりましたが、最初から最後まで「まあインドだしね」という展開が地味に画面の端々で起こっていたので(ラクダとか肌の青い神様の巨像がライトアップされてるとかシヴァーニーさんの逃げ方がバスの側面横乗りとか)わりと自然に受け入れられてしまうという……インドすごい……。●女たちの怒りのデス・ロードがすごい 『女戦士』はかなり正統派な刑事もののサスペンスストーリーで、歌も踊りもないまま硬派に進む映画です。が、クライマックス、黒幕をボコボコにし、被害者少女たちに『市民の怒り』を託したシヴァーニー姐さんが立ち去ったところから、主題歌ともいうべき音楽が怒涛の勢いで流れ始めます。 「男の市場で私たちをもてあそぶなら許しはしない」「ともに歩むなら水に流してあげてもいいけど」「男の目線で決めつけるなら許しはしない」「母や姉妹という言葉が言われるとき 常に侮蔑が籠っている」「私たちは好きな恰好でロウソクを灯して夜を歩こう」激しいシャウトで歌われるそれは、それまでの硬派なストーリーと相まって、毅然として行進する被害少女たちの姿とともに強烈な主張として響きます。 2012年にデリーで起こった集団暴行事件、それに限らずインド国内で頻発する性犯罪を強く意識し、啓発を促しているのが伺える歌詞でした。「夜道を歩くから」「男性から見て魅力的な服装をしているから」などなど、「金を持ってそうな服装をしているからカツアゲされたお前が悪い」「殴られそうな顔をしているお前が悪い」などと変換すれば明らかにおかしい言葉も、こと女性が被害者となった性犯罪ではたやすく発言される現実への決意表明といえるでしょう。悪役の男性(イケメン)がリンチされる凄惨なシーンにも関わらず、ああ怒っていいんだ、という安心感で私は滂沱しました。マッドマックス4って優しかったんだね…(遠い目)…みたいな…。圧巻のシーンです。 とはいえ、いわゆる刑事ものの男女逆転版ということで『女戦士』ではシヴァーニーの家族が狙われるわけですが、敵対するマフィアによって無実の罪(だと思うたぶん)で女性に暴行したという罪状をでっち上げられ、勤め先の病院を怒った市民に襲撃され、釈明する間もなく靴を被らされ(インドではかなり屈辱的な行為らしい)「変態医者」として晒され、心に傷を負った夫のケアというか名誉回復が作中で描写されていないのが私は気になったのですが……。できたらそこのケアもしていただきたかった。なお原題の「マルダーニー(Mardaani)」は勇敢さだとかそういう意味らしく、現在も起こっている人身売買の数字を挙げた後、シヴァーニーの声で語られる「それでもまだ女たちに辛い現実がある限り、女のマルダーニー(勇敢さ)は止まらない」という〆の一言には最高にシビレました。いろいろ後付けで感想書きましたが、シヴァーニー姉御に抱かれたくなるのでみんな観よう。これ書いてる時点であと一週間で2回しか上映しないけど!!!!