テーマ:楽天写真館(355815)
カテゴリ:砂的博物誌
夕闇の江を、独りで散策している途中、空を見ると二日月に気づいた。
二日月(ふつかづき)のことを、既朔(きさく)ともいう。 新月は暦のはじまりで、古来新月のことを朔(さく)と呼び、 旧暦では朔と記して「ついたち」と読んだりもした。 八朔(はっさく)や さて明日よりは 二日月 という蕪村の句がある。 八朔とは、旧暦の八月一日の月ことで、明日は二日月という意味の句だ。 元々、旧暦は月の運行を基に作り出された暦で、多少ずれはあるものの、 毎月一日は「朔」、新月で一ヶ月がはじまるのだ。 今宵は、月と暦の歴史について、少しお話をしよう... 新月から、満月を経て新月に至る厳密なサイクルは29.5306日なので、 30日の大の月と、29日の小の月をほぼ一ヶ月交代で繰り返し、 12ヶ月で一年としたのが、古代に用いられた太陰暦という暦だった。 太陰暦では、月が全く見えない日は1日と30日(あるいは29日)。 満月は、15日と決まっていたので分かりやすく便利だった。 しかし、この暦には大きな問題があった。 太陰暦は、一年が354日にしかならず、実際の太陽年より約11日短くなる。 このまま太陰暦を使っていると、三年弱で季節が一ヶ月もずれてしまうのだ。 そこで、二、三年毎に閏月を挟む太陰太陽暦が中国やエジプトで考案された。 この太陰太陽暦が、旧暦の原型となる暦だ。 奈良時代のはじめ頃、日本は中国から太陰太陽暦を取り入れ、 これに、日本独自の改良を加えて旧暦とし、明治五年まで使用する。 明治五年(1872)、太政官布告が出され、日本は突然太陽暦を採用。 これ以降、日本人は月の満ち欠けと、日付との関りを失った。 そういえば、EXEILの歌にも「二日月」というのがあったな... お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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