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カテゴリ:時事ネタ
恐喝でまた一人死にましたか・・・ でも、遺書を残したとの事。よくやったと思う。 最後の最後によく頑張ったと思う。 何度も書いてるが、死ぬのはよくないというが「生きていればいい事がある」と軽軽しく言わない方がいい。誰がその人の未来を保証できるのか。「生きていればいい事がある」というのなら、その人を一生傷つかないように守ればいい。 「生きたい人がいるのだから死ぬのはいけない」というが、私はその意見も笑う。先が見えないから死を選んだのだろう。生まれるか生まれないかは自分で選べないのだ。まして生まれたはいいが、結果として他人に虐げられる人生。その先が見えないのなら、死を選んでも「いけない」と私はいえないね。 それでも「しんではいけない」とうのなら、「理屈じゃない」というが、死のうとしてる人間は「確実な明日」が欲しいのだという事。「曖昧や漠然とした未来」など屁の役にも立たない。 もう一つ。この手の話があると必ず「弱い」とか「自分は我慢した」というが、人にはそれぞれの精神の力量というのだろうか、そういったものがある。遺伝や生まれた環境など色々あるだろうが「精神の力量」とでも言うのだろうか。その人の器がある。「自分は出来たから」というのは「相手を見下している」という事だ。「自分が出来たから貴方も出来る」というのは勝手だが、時にはその言葉が更なる死へ追い詰める時もある。 弱いとかそういう世論も「自分の境遇を社会で理解してもらえない」と追い詰める一環でないだろうか。「弱い」からいじめられるのか。「弱い」からいじめられて仕方ないのか。「弱い」というのは「人間」である証明だと私は思うのだが。 最近・・・この手の話は書いていなかった。 あまり書きたくなかった。私が書いてどうにかなるものでもない・・・と。 だが、誰かが・・・と微かな望みをかける。 逃げるのも大事なのだ。 どうか、貴方の子供がいじめられている時がついたら、転向なども一つの方法だ。「逃げる」手段をとっても再起のチャンスを・・・と思う。 いじめられた結果生き残っても一生残る。 私のされた事は私はまだ半分もかけない。いや、人に言えない部分が大多数だ。だが、少し話しただけで「信じられない・・・」といわれる。犬の糞、殴られた事、恐喝、濡れ衣、他多数。そんな話を世間は「嘘つき」と思うようだ。しょうがないのだろうか・・・と思う。世の中には信じられない事は「嘘つき」と平和な人達は思うのか。だが、子供というのは残酷だ。大人は残酷で狡猾だ。ターゲットになれば逃げれないのだ。特に未成年は闘うか逃げるか。だが闘う事で余計にひどくなる事もある。逃げるしかない場合もある。だが、未成年は逃げ場が「死」の道しかない場合がある。その環境に身を置きつづけるか、その環境を去る事が出来るかだ。 人は神でないのだ。人は人だから乗り越えれない壁もあるのだ。 立ち止まったまま過ぎ去るのも待つ方法はあるかもしれない。だが、その後、一生決して忘れれない。苦痛をもらった側は一生忘れはしない。 逃げる選択を残すべきだ。逃げなくて生き残った所で一生苦しんでいる人は沢山いる。一見「乗り越えた」と思われて処理されるが、実は何も乗り越えていない人も大勢いる。 神戸市須磨区の私立高校で今年7月、校舎から飛び降り自殺した同高3年の男子生徒(当時18歳)が、同級生から、繰り返し金を要求されていたことが、兵庫県警の調べでわかった。 生徒の遺書に、数人の同級生の名前と、「金を払えと要求された」などと書かれていた。 県警は、こうした同級生の行為が、自殺につながった可能性が高いとみて、恐喝未遂容疑などで捜査している。 調べによると、生徒は7月3日午後1時50分ごろ、授業中に「トイレに行く」と教室を出た。約10分後、校舎脇のコンクリート地面で、頭から血を流し倒れているのを教諭に発見され、病院に運ばれたが、死亡。ズボンのポケットにA4判3枚の遺書が残されていた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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