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カテゴリ:時事ネタ
私は相撲は全くわからない。相撲どころか、そもそもスポーツに興味もないし、どちらかというとスポーツ観戦も全く興味がない。オリンピックやワールドカップで何故あんなに熱狂するのか?と。
私はビールを飲みながらスポーツを観戦して熱狂しているのなら自分でなにかスポーツやればいいのに・・・と思うのが本音。(何かスポーツやってる人なら別だけど)行動してこそ楽しいと感じたりする体感を味わえばいいのにと不思議でしょうがない。(体の問題等でスポーツをやりたくても出来ない人達が熱狂するのはわかるのだが。) こういう考えはとても少ないだろう。でも、これだけ多くの人がスポーツ観戦を楽しんでいるという事は、きっと自分や何かの希望を重ね合わせたりしているのだろうと勝手に解釈している。自分がきっと頭がおかしいだけと思えばすんなり納得もできる(笑)過去にスポーツの事を書いたら熱狂的ファンから抗議をいただいた事がある。面倒なのでそれ以来スポーツネタは書かないようにしていたが。。。 今回敢えてスポーツ絡みの話をするのはどうしても残しておきたい事があった。ある相撲部屋で序ノ口力士の17歳が死んだ話。暴行の疑いがあり、昨日立件されたニュースが流れた件だ。 相撲。祖父母が好きで見ていたが、私はどうしても好きになれなかった。どうみても不健康な太り方としか言いようのない肉体。歩く姿もそう。柔道なんかは見てても苦ではないが、相撲というのは私には一種の嫌悪感があった。だから相撲のことなんてまったくといっていいほど知らない。土俵があってちゃんこ鍋食べて太ってる人たち、国技。その程度だろうか。ああ、後は上下関係がとても厳しいという事は噂で聞いていた。 スポーツ好きな人達からいわせれば「スポーツは素晴らしい」という。スポーツは「心技一体」となって行なう物であり、「心身の鍛練」にもなるという。礼儀作法も身に付くという。確かにそうだろうと思う。だが、それとは別に「スポーツてそんなに素晴らしい?」と必ず思う。私のスポーツの上下関係は「上下関係と名付けた意味のない命令」はな存在しないのか?と思う。 これはスポーツに限らず歌舞伎なども上下関係が非常に厳しいという。伝統のあるものは特にそうだろうね。私も少しだけ茶道を齧っていたが、やはり上下関係や中にはいろいろな関係がある。上下以外の関係が。上下関係の名目の元に明らかに違う関係が存在していた。 人間は一人一人は何もいえなくても「集団」というものになると化け物に変わる事がある。今回はまさにそれであったのだと思う。 また、稽古が厳しくて上に怒られないように一生懸命努力する。だが、その分のストレスは溜まる。通常なら趣味などで適当に晴らしたりするのだろうが、規律が厳しい場所や複数名の人たちが下宿する場所ではストレスを発散するのは難しい。その先は今回人が死んでしまったが、死ぬまでもなく・・・というのは多いと思う。 プロを目指している相撲などと同列にするのは間違いかもしれないが、身近なのでは学校の部活動がそうだと私は思った。周囲に聞いても「上下関係」というなの元に私が知ってる限りではかなりの人たちが明らかに「上下関係を利用した何か」をしてる場合が多く見受けられた。そりゃ「皆仲良く」というのだって当然あるだろうが(そういう事を書かないと「例外ばかり捉えて」とか言われて面倒ですから) スポーツというのはそんなに素晴らしい物なのだろうか?と思う。 スポーツという体を動かす事は素晴らしいと思う。心身を使い自分を高める効果はあるとは思う。それは素晴らしいと思う。だが、その過程における「上下関係」というものに私はいつも疑問を感じていた。指導者やスポーツの内容、集まった人々によるのはわかるが、スポーツで心身育成とかそんなに奇麗事ばかりなの?というのに今回、死という哀しい結末で我々に一石を投じたのではないかと私は思うのだが。本人は何も知らずにただ死んだだけだろうが。 この死を無駄にしてはいけないと思う。 人は改めて「集団」を考えるべきだと思う。学校のいじめ、会社、社会全般、必ずどこにでも「大義名分」はあり「上下関係」というのは存在する。「皆平等」ではないのだ。ある程度我慢や対処をすべき方法を身につけるのは必要だが、「集団対個人」になった場合、個人一人で戦えない事は多い。理由のない大義名分を振りかざした集中攻撃。 師弟制度、弟子入等色々あるが、指導者含めてみな「人間」という化け物が存在している。人間はどのような環境であれ「悪」へ流れるのは比較的簡単だと思う。 指導者の親方の人格も呆れるばかりだが、先輩に当たる人間達も親方を見習ったからという問題ではない。そのような素質があったという事だろう。そして、死んだ力士からすれば自分に攻撃を与えた人たちは皆同列なのだ。 私達は誰かに責任をとらせようとする。今回は親方であろうか。だが、攻撃を受けた側からすれば全員大差ないだろうと思う。 しかし、当然ながら指導する者の監督責任も今回の場合は全面的にあるだろう。 スポーツ活動、伝統芸能活動、教育、社会、地域など様々な所で「集団・団体」がある。そのような事をするのは人間形成上推奨するといわれてきたが、私は一度もそう思った事はない。特定の人間を形成する為に、誰かがはけ口にされる事が多いから。事実自分は集団でいつもはけ口にされていた。指導者だって聖人君子ではなく人間なのだ。「助け合い」とかいうのも勝手であるが、その陰で泣いてる人たちを置いて何が人間形成だ、助けあいだ、感動だと思う。 本来の目的があり、その付随するものに人格形成があるのだろう。だが、かならずしもスポーツ含めて「素晴らしいものではない」という事を改めて思い知らされた。「大義名分」だけを信じて「多少の無理は大事」と信じてアホと思う。死ななけりゃいいのかと。 「スポーツ=素晴らしい」な短絡的な風潮が私は苦手だと気がついた。 「スポーツ精神にのっとって」とよく聞くが、襟を正して欲しい。相撲含めて身に覚えのある人達には。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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