|
カテゴリ:時事ネタ
最近、色々気になる事件がとても多い。最近、そんな事件についてもあれこれ書いていけないのだが、今日はどうしても一つ思った事を書きとめて見ようと思ったことがある。
秋葉原の通り魔の事件。両親が謝罪会見に自ら応じたとのことである。 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080610-00000029-maiall-soci http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080610-OYT1T00719.htm?from=navr http://mainichi.jp/select/today/news/20080611k0000m040106000c.html 誰が一番悪いのかと考える。罪を犯した人間が一番悪い。被告人に同情など一切ない。同情は必要もないと考えている。まず、それは先に書いておく。 親が知らん振りを決めこんだり、親が子供を庇って逆切れしたり、子供が人を殺しても「本当はいい子なんです」など最後までいってる親もいたりする。そんな親が多いと思われる。 ただ、今日この日、先日の秋葉原の惨事の容疑者(加藤智大容)の両親が「息子が重大な事件を犯し、亡くなられた方、そしてけがをした方、本当に申し訳ありませんでした」と謝罪した映像が流れた事。 脅迫電話などきてるから、それに怯えたのだろうかとも考えてみたが。。。なんか違う気もする。裁判で情状証人で両親が被告に代わって謝るというのはあるようだが、今の段階では両親の謝罪は本当に「謝罪」以外の意味はあまりないと思われる。事件を美化や賞賛する気持ちは微塵もない。両親にも同情はあまり湧かない。だが、両親はとても真面目な人間なのだろうと思った。そうじゃないとカメラの前に立てないのではないかと。 成人の犯した犯行なので親の責任はあれこれいうべきでないという意見がこの事件に限らず、どの事件でも必ず見受けられる。 私の考えとしてはたとえ20歳を過ぎようと30歳を過ぎようと、やはり未成年のころの社会や学校、そして親の躾の結果がその人の人格の元となると考える。「三つ子の魂百まで」なんて言葉がある。3つというのは例えだが、私が思うに思春期までにおいて何らかの育てる側(親など)の躾によっって得られるもので子供は人格を形成して道徳などを学んでいくのではないかと思う。未成年の頃に得た道徳。これは人間の一生を大きく左右していくのではないかと考える。 「物を盗んではいけません」「人を傷つけてはいけません」等と教わる。道徳。人間としてのルールなど、これは小さいうちに何がなんだかわからないが何度も言われる。そして、成長していくにつれてその意味を理解させ、体感させる。人間として根源を形成していくのに、特に影響が大きいのは0歳~小学生位ではないだろうか?(科学的な根拠とかはわかりませんが、私はそう思います) 今回のようにすでに社会に出て数年たっている。だから両親に責任は一切ないという意見もわからなくもないが、私は「社会に出てまだ数年」としか考えていない。社会の経験よりも未成年だった頃に学んできた事柄を元に行動してる事が多いのではないかと考えている。よほど未成年の20年間を覆すような大きな出来事がない限りは。 年齢で20歳=成人だから親の責任については法律上問われない。 (年齢の区切りや目安は必要だとは認めるが。) だが、道義的責任も離れるのか?と思う。この、道義的責任をどこまで親が背負うのかはケースバイケースではないだろうか。 「マスコミが社会が両親を引っ張り出した」という意見もあるようだ。成人が犯した罪だから両親が謝る必要はないだろうという意見もある。確かにそれもわからなくもない。だが、私は両親自らの意思であったのではないかと思う どちらにしろ、謝罪会見の勇気を評価したい。 最後に。。。 「この謝罪会見を報道する意味は何かあるのだろうか」と感じた。個別に謝罪にいくとかならありだと思うが。また、マスコミがあれこれ質問してるが、その必要はあったのかと。質問については不愉快に感じただけである。 誰が一番悪いのかと考える。それは間違いなく犯罪を犯した本人だ。そして、子の謝罪会見は誰の意思において行われたのか。なんの目的で行われたのか。マスコミの報道やマスコミが両親に質問していたのを見ていると、両親の意思よりもマスコミが謝罪会見をさせたようにも見えない事もない。淡々と謝罪会見だけ報道するならまだ理解できたが、あれじゃ両親の意思は台無しだと私は感じた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008.06.12 00:07:28
コメント(0) | コメントを書く
[時事ネタ] カテゴリの最新記事
|