祖母山傾山ソロ縦走No,3
祖母山系の成り立ちを紹介させていただきます。約1400万年前に、大崩山の火成活動に先立って噴火した火山。最初に、傾山で噴火し火砕流が流出し、陥没、浸食の後、再噴火し凝灰岩を流出しました。その後、祖母山の噴火で成層火山が形成され、最後に大崩山花崗岩の貫入により最終的に環状岩脈ができたとさてています。そこがU型、J型の縦走路です。祖母山傾山縦走もいよいよ最終日。3時半起床。思ったより体は軽く感じましす。久々のナイトハイク。向こうには傾山が見えます。何とか5時半に山頂に到着。この山は格好いい山ですよね。山頂からは、昨日までの2日間の道のりが。からりの達成感。んん~、天気が微妙?そういえば昨晩は、疑う余地なく天気予報を確認していませんでした。ただ、曇り予報でも朝一来たと思います。頑張れ、太陽‼山頂へは、最低限の荷物と朝ラーの準備。ボーラーメン最高。結局、この日は1時間山頂出ねばりましたが日の出は見れませんでした。残念。でも昨日までの天気を考えるとすべて完璧にはなりませんね、自然相手ですからね。テン場まで下っていると、ポツポツ。まさかの雨。急いで戻りますが、九折越えまで戻る頃には本降りに。ちょうど団体さんが出発のよう。急いでテントを撤収。下山。雨は雨でいい景色の場所も。分かりずらいかもしれませんが、ここはあけぼのツツジとみつばツツジが一緒に咲いていました。油断しているとこんな場所もあり要注意。水量も結構あります。ながながと森の中を歩いているとちっぽけ自分の無力さを感じます。本当に大きな木もいづれこんな感じなります。いったい何年生きていたのでしょうね?この木も石と共存。やっと下界へ。旧鉱山跡。こんな山深くにトンネルを掘り、道を作り、あげくの果てに街を築く。大きな自然界に立ち向かった人たちの爪痕ですね。日添いに昔の何かが。側面部に重さと単位が書かれています。しかも、そこにそりが?何か鉱物を運ぶ入れ物かな~。どこまで鉱山の道、側溝がつづいているのか?一見きれいな川。最後の歩道は大雨のせいか、地震の影響か崩れています。やっと駐車場まで到着。つくころには昨日までのような晴天。◎モンベル 1122491・クロノスドーム2価格:24624円(税込、送料無料) (2018/5/5時点)尾平鉱山の歴史1547年(天文16年)、銀鉱脈が存在することが知られるようになり大炊坑で銀鉱石の採石が行われていたとの記録があるが、公式には1617年の蒸籠山(こしきやま)坑で錫の採掘が行われるようになったことをもって開山とする。鉱山経営は当時の岡藩藩主の直轄事業として行われ、尾平鉱山は藩財政の要となっていた。岡藩には1636年から1639年まで江戸時代を代表する通貨である「寛永通宝」の鋳造所が設置され、尾平鉱山産出の錫が通貨の鋳造に使用されていた。その後、当時の採掘技術の限界で産出量が低下し、明治・大正時代になってもなお動力が水力以外になかったこと等が原因で産出量をのばすことができなかった。1935年、上田鉱山から上田所有の鉱山を全面的に移譲された三菱鉱業(三菱金属を経て現三菱マテリアル)が鉱山経営に携わるようになり、一気に鉱山設備の近代化や探鉱が行われたために飛躍的に産出量が増加し、尾平鉱山の最盛期が訪れる、1940年1月に月間6,000トンの処理能力をもつ新選鉱場が完成、1941年には出鉱トン数5万3,222トン、金属錫390.84トンを記録している。(鉱山街跡は、当時の街並みを今も廃墟と化し伝えれいます。最盛期には、2000人が住んでいたそうです。2年前に来た際、コミュニティーバスで当時尾平鉱山で生まれ育ち現在関東に住まわれている方とたまたまご一緒させていただき、当時の貴重なお話を聞くことができました。その方は元気なうちにもう一度小さなころ育った尾平の地に行きたかったと一人で来られていました(おそらく60代女性の方)。当時は学校、飲み屋さん、映画館などがあり街から出ることもなく楽しく暮らしていたそうです。しかし、ご両親は採掘量が減り仕事も少なくなってきたとき鉱山から林業に変わったとのこと。現在きれいな川は、誰も泳いでいない川だったそうです。)しかし、尾平鉱山の盛期は長く続かなかった。1952年の38,550トンから翌1953には15,372トンと激減し、ついに1954年には採掘は中止され閉山に至る。高品位の鉱脈を掘りつくしたことや、銅や亜鉛等他の産出金属も採算を確保するだけの量や品質が満たせなかったことで操業を断念せざるを得ない状況にあったためである。その後、蔵内尾平鉱山として採鉱が再開されたが、1959年に完全に閉山した。公害問題尾平鉱山の鉱害問題は戦後間もない頃から認識されてはいたが、本格的な対策が講じられるようになったのは昭和40年代に至ってからである。尾平鉱山を流れる奥獄川でカドミウムが検出されたために、下流域の水田の土壌入れ替えや坑廃水の中和処理作業が行われるようになった。坑廃水の処理作業は半永久的に行う必要があるため、三菱金属やその後身の三菱マテリアルにより行われてきたが、1999年度に公益財団法人資源環境センターに移管されて、今もなお続けられている。(wikipedia参考)現在も廃坑水の処理作業が続いています。こんな時になんですが、まるで原発事故のようではないでしょうか。大きい小さいの話ではなく。故郷がなくなる。問題なく必要とされたときは、国も頼りにし人口も増え栄えているように見えます。しかし、問題が発生し人の力ではどうにもできない。今の科学技術でも浄化(除染)できない。人が気づくときは、いつも汚れた水からその水の処理に追われる。「半永久的に処理を行う」とはどのようなことですか?鉱山より上の山深い自然の中、何千年もある岩、何十年・何百年生きている木々。自然や、地球規模では浄化してく能力もあります。それは、人間の汚したものではなく自然の中の死や災害の痕跡だけではないでしょか。もっといろんな人に本当の自然遊びをし、人の無力さと自然の大きさを実感していただければ、この環境がこれ以上傷つかずに済むのではないかと改めて実感しました。偉そうなことを長々と書いてしまい申し訳ありません。