KEEBOW「GIVE ME A KISS」(1975.11.21 ポリドール MR5069)
KEEBOW(キーボー)は、長い間幻のシンガーソングライターであった。2014年、木澤嘉春名義で再デビューしているようだ。木澤嘉春という名が本名かどうかも確かめようもないが、1975年に素晴しいアルバムを残している。僕が辿れる数少ない記録を記していくと、KEEBOW(キーボー)は1953年3月6日、秋田県大館市生れ。ほぼ僕の生れ育った町に近いのだが、KEEBOWの存在はまったく知らなかった。前に友川かずきのアルバムを取り上げた時に書いたが、秋田県中央〜北部は実に多くのシンガーソングライターを輩出している。山平和彦が1972年2月10日、シングル「放送禁止歌」でデビュー。(70年4月にURCから山平和彦&シャーマン名義でシングルを出している)友川かずきが1974年3月5日、シングル「上京の状況」でデビュー。ザ・ジャネットが1974年3月20日、シングル「美しい季節」でデビュー。とんぼちゃんが1974年9月25日、シングル「貝がらの秘密」でデビュー。山平和彦と活動を共にしていたマイペースが1974年10月25日、シングル「東京」でデビュー。とんぼちゃんと同級生だった宮城伸一郎が"がむがむ"のオーディションに合格し、1974年9月、3枚目のシングル「青い空はいらない」でデビュー。KEEBOWが1975年11月21日アルバム「GIVE ME A KISS」でデビュー。因幡晃が1976年2月5日、シングル「わかって下さい」でデビュー。北部ではないが、あべ十全率いる田吾作が1974年7月10日、シングル「田吾作音頭」でデビュー。俳優の山谷初男が1974年10月25日アルバム「放浪詩集/新宿」でデビュー。といったところか。ま、多くの人は東京や名古屋で活動している中でデビューしているので、秋田つながりにする必要もないのだけれど・・・GIVE ME A KISS/KEEBOW(1975.11.21 ポリドール MR5069)デザインはMR5000番台を数多く手掛けた酒井治全体的にスロー寄りなミディアムテンポで統一された、この何とも言い難い心地よさを持ったアルバム「GIVE ME A KISS」。全曲KEEBOWの作詞・作曲、アレンジは安田裕美。まずはA-1「まるで女のよう」から。今井裕(p)の美しいピアノでそれは始まる。「目をとじても 眠れぬ夜は僕の心おいかけまわす自分に与えられたものは本当に楽しいものか好きな言葉かわしあいお前はまるで女のようこれだけの愛で結ばれているなんてお前はまるで女のようお前はまるで女のよう」すごくキーの高いボーカルなのだが、まるで包み込むような優しさが漂う。このレイジーな心地よさを演奏しているのは、今井裕(p)・後藤次利(b)、高橋ユキヒロ(d)のミカバンド勢+大村憲司(g)、大原繁二(org)、そして安田裕美のアコギとボトルネック。全編、安易にストリングスを入れずにバンドサウンドにこだわっている(A-5は除く)。その代わりに大原繁二のオルガンと、リンダ・ヘンリックのコーラスがまるでストリングスのように効果的で美しい。A-2「ついておいで」ここでのセットは稲垣次郎とソウルメディアの大浜和史(p)、かつて大村憲司とカウンツ・ジャズロック・バンドを組んでいた山村隆男(b)、大村憲司(g)、安田裕美(g)、島村英二(d)、イーストの足立文男(per)、生明(あざみ)慶二(vib)。なにせ皆、雰囲気を作る名人衆。大村憲司のワウワウ+安田裕美のツインギターも素晴しいし、パーカッション、ヴィブラフォンもとても効果的だ。A-3「この部屋にひとり」浅川マキが歌っても違和感のないこのジャズブルースなナンバー。なんたって渋谷毅(p)、寺川正興(wb)、村上秀一(d)のトリオだ。「この部屋にひとりいるのもなんの味気もないものさいつでもつきまとう影頭の上 笑っている生きている 感じあっているいろいろ いろいろあるさドアをたたいてゆくなにかが 今近づいてくる」A-4「登りゆく坂道」駒沢裕城(sg)をフィーチャー。僕はきっとこの人のファンなんだと思う。この人の音を聴いただけで、ぐぐっときてしまう。「登りゆく坂道 夕陽赤くほほ染め別れのさびしさ あなたうつむく夕ぐれの街は 悲しみ影長く別れのさびしさ あなた振り返る」夕陽赤くほほ染め、を音で出しちゃうんだよね、駒沢裕城サン。素晴しいです。好みで言って恐縮ですが、A-5「あなた何故」はあまり好きではない。曲、アレンジ共に。限られた資料でKEEBOWの名を見つけられるのは、74年のHOBO'Sコンサートのリストで、12月21日に出演しているようだ。同じマネージャーの名で、南正人、久保田麻琴と夕焼け楽団、井上憲一、エドも出演していることから、ロフトの平野悠が言うところの「多摩のコミューン」一派ではないかと想像される。74年10月からの記録が残る西荻窪ロフトの出演リストでも、74年10月 南正人、久保田麻琴、井上憲一、KIBOO、友川かずき、シバ、友部正人ら74年11月 いとうたかお+ダッチャ、古田勘一、西岡恭蔵、中山ラビ、ディランIIさよなら 山下成司、Keeboo+橋本俊一74年12月27日 西荻ロフト祭りには久保田麻琴、井上憲一、橋本俊一、Keeboo76年からはKEEBOWという綴りに統一されているが、74年はこんな感じだ。古田勘一(v,g)は、鵜沢章(b)、倉田義彦(d)、岩崎はじめ(k)と"複葉機"というバンドを組んでいた人で、岩崎はじめが"神無月"へ、鵜沢章と倉田義彦が"オレンジ・カウンティン・ブラザーズ"を結成したため、ソロに。やはり南正人、久保田麻琴の付近にいたらしく、75年7月に吉祥寺・曼荼羅でレコーディングされた「南正人ライブ」(1975.12.20 ニューモーニング FW-5006)では、とても味のあるボトルネックギターを聴かせている。エドは73年にデビューしたトム・ウェイツを、いち早くコピーして歌っていたようだ。橋本俊一はティンパンアレーにボーカル参加していた人で、YMOのデビューアルバムでも「シムーン」を歌っている。76年、ペッカーらとサルサバンド"オルケスタ・デル・ソル"を結成している。B-1は少しテンポをあげてカントリータッチな「陽のあたる家」から。今井裕(p)・後藤次利(b)、高橋ユキヒロ(d)+安田裕美(g)に駒沢裕城(sg)をフィーチャー。安田裕美という人はエレキギターも卒なくこなす人だ。思い返してみれば、南正人のファーストアルバム「回帰線」で安田裕美がエレキギターを担当していたっけ。録音中に指を怪我して、見学に来ていた後藤次利が代わりに弾いたんだっけ?あまり上手くなかったような・・・駒沢裕城、後藤次利は"小坂忠とフォージョーハーフ"で一緒だった。B-2「水の流れに」はこのアルバムのハイライトと言えるバラードだ。渋谷毅(p)、寺川正興(wb)、村上秀一(d)に大村憲司(g)、安田裕美(g)という最強布陣。「水の流れに この身をまかせ流れてゆくんだ青い空やわらかな確かめ合う心あずけたあなたは私のそばで見ているいつでもいつでも一人にさせないあなたは私のそばで見ているいつでもいつでも一人にさせない」ラブソングのようで、実は自然を歌っているような不思議な感触。B-3「歌はながれる」は、いきなり派手なギターサウンドで始まるが、こんなフレーズを弾くのはもちろんミカバンド在籍中の高中正義。大原繁二のオルガンが通奏音のように鳴り続けている。高中正義もポリドール-キティの録音を支えた人で、自身も翌年キティからソロデビューしている。B-4「今夜も一人で」楽曲とモダンアレンジがマッチした素晴しいテイクだ。今井裕(p)・後藤次利(b)、高橋ユキヒロ(d)+安田裕美(g)にリンダ・ヘンリックのコーラス。イントロのギターフレーズが3拍子を際立て、とてもいい。「今夜も一人で 静かに眠るあなたは見つける 夜深く入りそばに来ては語る むなしさ見えないそばに来ては語る むなしさ見えない」西沢幸彦のフルートをフィーチャーしたB-5「今その家をとび出す時」で、このアルバムは静かに終る。「今その家をとび出す時」と言いながらも、それは説教ではない。ここには説教も、メッセージもない。片思いも未練もない。明らかに孤独は存在するが、悲壮感はない。生活も、貧乏臭さもなければ、ファッションもない。諸行無常の響きはあるが、言い知れぬやさしさがある。強いて言うなら、それがKEEBOWの音楽なのだろうか。誰にも似ていない。そしてとても心地いい。2014年、木澤嘉春名義での再デビューにあたり、このように紹介されている。「(1975年の)レコーディング時に起きたアクシデントにより、プロモーション等はほとんど行なわれず、そのアルバムの存在と彼の名はほとんど一般には知られることはなかった。失意のデビューにもかかわらず、他のシンガーと一線を画すグルーヴ感あふれる独特な歌声は耳にした者に強烈な印象を残し、ライブハウス等の限られたサークルで熱狂的な支持を受ける。文字通り、知る人ぞ知るシンガーとして活動するも、80年の渡米をきっかけにカナダに移住。」北千住甚六屋77年2月のリスト表。転載をお許し下さい。エドと橋本俊一は81年、井上憲一がプロデュースしたアルバム「THE VOCALISTS」に参加。THE VOCALISTS/エド・佐々木忠平・入道・橋本俊一(1981 フライングドッグFLD-28004)転載をお許し下さい。橋本俊一はその後、タイロン橋本名義でソロ活動を。エドこと藤田利秋は、2000年5月23日、わずか50年の生涯を終えている。2012年、エドの秘蔵音源がCD発売されるにあたり、多くの知己がコメントを寄せている。タイロン橋本(橋本俊一)は、「30年程前、僕はエドという名のシンガーとデュオで歌っていた。エドがLead Vocalで僕はG&Cho。 池袋シアターグリーンのホーボーズコンサート。高円寺次郎吉オープニングライブ。貧乏旅行でいった関西ツアー。…思い出が一杯だ。僕たちの18番は"OL' 55"。Tom Waitsの曲というより僕のなかではエドの曲だった」木澤嘉春(KEEBOW)は、「エドと初めてあったのは、75年のころかな、35年も経っている。確か久保田真琴さんの知り合いの知り合いの家で、おれと夕焼け楽団の井上憲一君と二人で借りていた。とにかくそこへ来たエドは、トム・ウェイツのなんという歌だったかを歌って聞かせてくれた。ほんの少し照れていて、、、そうだ、「oll'55」だ。変なヤツだと思った。 初対面で自己紹介の代わりに歌など歌って帰っていくなんて。 いつからか何故かいっしょにライブを始めていた。2年ほどの短い間かな、2人で何度か数カ所?いや、数十カ所?行ったことがある。」KEEBOWの「GIVE ME A KISS」レコーディング時に起きたアクシデントとは何なのか、知る由もない。なぜ再発されないのか、それも知る由もない。が、こんな素晴しいレコードが聴き継がれないまま、いつか忘れ去られるとしたら、それはとんでもない損失だと、言わざるをえない。