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カテゴリ:1975
きっと僕は聴くだろう、きっと僕はこの人を好きになるだろう、きっとこの人の歌を好きになるだろう。そう思った。 でも、しばらくやり過ごした。なぜだか解らないけれど。たぶん心の中のある部分を占拠されるような、恐れにも似た気持ちがあったんだと思う。しばらくやり過ごしたけど、結局捕まってしまった。そして恐れていたとおりになってしまった。 友部正人の歌はBGMになり得ない。仕事をしながら聴いたりなんかしてはいけない。 友部正人のレコードは、行く先々で知らん顔して僕を待ち受けていた。 村上春樹風に、やれやれ、と思った。 友部正人の足跡を俯瞰してみると、なんだか刹那的に思えたりする。 1950年東京武蔵野市生まれ。小学校に入る時札幌に転居、その後も各地を転々とし、名古屋へ。高校卒業と同時に名古屋の街角で歌いだす。学生運動のこの時代にあって交番に火炎瓶を投げて鑑別所へ。そして街を逃げ出すように10トントラックに乗って大阪へ。"ディラン"に寝泊まりしながら黒テント公演に付いて廻って、幕間で歌うようになる。71年のフォークジャンボリーや春一番に出演、東京からきた"武蔵野たんぽぽ団"にも参加している。黒テント公演と共に東京へ移動、結局そのまま東京に引越してしまう。 1972年レコードデビュー。1974年フォークのスター、ジャック・エリオットの来日ツアーの共演者に選ばれるが、ジャック・エリオットの帰米とともに単身アメリカへ。放浪は7ヶ月に及んだ・・・ 別に刹那的っていうんじゃないさ。普通に生きてるだけだよ。 旅する男。 アメリカから帰り、前作から1年半ぶりに発表した4thアルバムがこの「誰もぼくの絵を描けないだろう」。 1st「大阪へやって来た」、2nd「にんじん」、3rd「また見つけたよ」、5th「どうして旅に出なかったんだ」・・・どのアルバムもそれぞれに好きだからどのアルバムから取り上げても良かったんだけど、自分的に一番落ち着いて聴けるアルバム「誰もぼくの絵を描けないだろう」 というか、どのアルバムを取り上げても結果は同じだ。 友部正人の詩を味わう。ざらついた声で。ざらついたギターで。ざらついたハーモニカで。 まるで小説でも読むみたいに、僕はじっとしている。一言も聞き漏らさないように。 ただそれだけだ。 そしてまたしばらくすると、同じようにじっと聴く。 また勝手なことを言うようだけど、友部正人と村上春樹は僕の中で繋がっている。 似てもいないし、味わいもまったく違うのだけれど、70年代の友部正人はたぶん僕の中では村上春樹の"鼠"なんだと思う。 同様に友部正人と永島慎二も僕の中で繋がっている。 たぶんもう何度も読み返した"フーテン"の中の、みのりや軍平を思い出させるからだ。 このアルバムは坂本龍一のミュージシャンとしての初レコーディングとしても知られる。 芸大大学院生だった22歳の坂本龍一と、アメリカ帰りの24歳の友部正人が新宿ゴールデン街で知り合い、2人でこのレコーディングに臨んでいる。3曲で、そぎ落とされたストイックでモダンで静かなピアノを聴かせている。 またレコーディング中だった74年12月19日(たぶん)の、ホーボーズコンサートでの2人のステージが録音されていて、のちにレコード化されている。これが、実に味わい深い。 なんかうまく表現できないのだけれど、僕は70年代の友部正人を引きずっていくんだろうなって気がしている。 やれやれ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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