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テーマ:旅のあれこれ(9946)
カテゴリ:旅
一枚の古ぼけた油絵が、我が家の玄関でホコリをかぶっている。 これは、私が二十歳の頃に描いた絵だ。 この絵は、私が生まれて初めて外国へ行った時の、旅のイメージを描いたものだ。 私が生まれて初めて行った外国・・・・それはインドだった。 「なぜ、インドなの?」 ほとんどの人がそう訊く。 1970年半ば頃、インドは一部の人々の間では聖地だった。 なぜ、インドが聖地だったのか? それは、当時、一部の若者達の間で密かなブームだった精神文化の世界の出発点だったからだ。 ヨガ、瞑想、聖者・・・・ それは、私にとっては独特の崇高な響きをもっていた。 つまんない自分だけど、インドへ行けば、もしかして「悟り」が開けるかもしれない・・・・ 悟りがどんなものかも分からないまま、精神世界の聖地へと私は旅立った(笑) 1973年12月、羽田空港(当時は成田空港はまだできていなかった)を飛び立った飛行機は、約10時間かけてインドのボンベイ(当時の地名)に到着した。 時間は夜の11時を過ぎていたにもかかわらず、空港のロビーには大勢の子ども達が私達を出迎えた。 えっ?! いったい何の歓迎式? などと思った私は、自分があまりにも世間知らずだったことを、次の瞬間に悟った。 空港で私達を出迎えた子ども達は、いっせいに手を差し出した。 「バクシーシ!」 「バクシーシ!」 「バクシーシ!」 子ども達は、外国からやって来る観光客目当ての物乞いだったのだ。 今の言葉で言えば、ストリート・チルドレンというのだろうか。 ホテルに向かうバスの中で見た光景・・・・それは、街にあふれる路上生活者たちの姿だった。 道路わきにテントや板で作った粗末な「家」が並び、煮炊きする煙が立ち上がり、小さな子どもを抱いた女性が座り込んでいる。 インドの街には、物乞いがあふれ、私達はどこに行っても、彼らに囲まれた。 凄まじいまでの貧困がそこにはあった。 第一印象では、貧しくて汚い国・・・と思っていた。。。。が、次第にインドの持つエネルギーに圧倒されている自分に気付いた。 街にあふれる物乞いの子ども、この子達は小さな手を差し出して、家族の糧を稼ぎ出しているのだった。 街を歩いていると、インド人達が大人も子どもも、見ず知らずの私に人なつこく話しかけてくる。 どこへ行くの? 何をするの? そして、よくしゃべる。うるさいくらいまとわりつく。 日本じゃこんなことあり得ない。 他人の事なんてどうだってよいじゃないか! それなのに、いちいちうるさく尋ねてくる。 しかも、現地語でだよ・・・・・何言ってんのか分からないし! カンベンしてよ、もう~~~! と、次第にイラつくする私。 しかし、祖国を遠く離れた旅路で、人なつこい笑顔に癒されることもある。 ところが、うっかり気を許すと、欲しくもない物をとんでもない値段で売りつけられてしまう・・・・ そしてタクシーの運賃はごまかされるし、買い物すれば10倍くらいの値段を吹っかけられるしで、バトルを繰り広げる日々が続く・・・・ 神秘の国インドへ行ったら、瞑想して悟りを開くんだ~~~! と、意気込んで来てみたけど、悟りどころか、些細なことでインド人とバトルっている毎日だ。煩悩だらけの旅だった。。。。 しかし、インドは俗世界かといえば、そうではない。 街の至る所に、神様が祀られていて、お寺がたくさんある。 インド人は信心深い。 街で観光客を騙して小銭を稼いでいる人達も、神様の前ではきっと敬虔な信者になるのだろう 貧困と、渦巻くエネルギーと、わけの分からない神秘的な雰囲気・・・ インドで見たもの、出会ったものすべてが未消化の状態で心の中に収納されて、約1ヵ月後私は日本に戻って来た。 ガイドブックにあるような神秘的なインドはどこにもなかった・・・・・ いや、そうではない。 すべてが神秘の中にあったのかもしれない。 埃っぽい田舎道を、頭に大きなカゴを乗せて歩いている小さな女の子・・・ 私が、インドから帰って描いた絵。 あれは、人生の入り口で、途方に暮れている私自身だったような気がする。 インドに行って、私の何が変わったか? 悟りが開けたわけじゃない。 でも、私の本当の旅は、インドから始まった、と今でもそう思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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