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カテゴリ:日記
仕事柄、調べものをすることは多分かなり多い方だと思います。
下手すると、一日中検索かけたり文献読んだり・・・ 先日からこれまで全く関わった事がない事象に取り組むことになって、全くの無知の状態から調べ物を始めました。 まずは脳みその下ごしらえとして、ひたすら検索をかけて日本語の解説を読みまくる。次に英語の総説を読んで更に基礎を固めて、そこから今度は論文中で疑問に思った事、知らなければならない事へと枝葉を広げていきます。 流石に最近は完全に0から出発する事はそうそうないので、かなり大変な作業ではあるのですが、知らない事にぶちあたると、どうしても知りたくなるんですよね。1を調べると2が知りたくなり、それが4になり。 更に別の枝と絡み合って全体像の一部が見えてくるその瞬間の快感といったらありません。 もやもやっとしか見えていなかったものが、霧がさっと晴れるように目の前に現れてくる瞬間。脳の中で別々の知識がくみ合わさって知識の立体を形作る手応え。 なんだか久々に燃えている自分が、ちょっと嬉しい。 勉強が好きなのか、と問われたら大声で”否!”と答えてしまいます(爆) 特に英語は大嫌いです(どきっぱり) でも、知らない事を知ることは大好きです。 というか、あの事象を少しでも見渡せた時の達成感が好きなんでしょうね。 考えてみると、小学校の頃は理科の先生が色々な物に直に触れさせてくれて、国語の先生は独自のお話をよく聞かせてくれましたっけ。 中学の時は数学の先生がかなり独創的な授業をしてくれました。あ、美術とか技術の先生も面白かったな。 それらの科目が得意かどうかはともかく(核爆)、こう考えてみると、非常に教師に恵まれたんだな~としみじみ思います。 高校の時、最大の敵が英語と物理でしたが、これらも非常に良い熱心な先生に恵まれました。授業も厳しかったけれど、出来なくても食らいついていけば応じてくれる先生達でしたね。 子供の頃の義務教育っていうのは、自分にとって何になるのかが理解できない年齢でもあるので、なかなか本人にとっては厳しいものだと思います。 その中で、”考えることが面白い、楽しい”と思わせてくれる”師”に巡り会えるかどうかが、とても重要なのでしょう。 師は別に、先生でなくてもいいのです。本でもいい、親でもいい、それこそ大自然そのものでもいい。 感動する目、いろんな物を見渡す目。 それらを是非大切にして欲しいと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009年04月14日 22時45分22秒
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