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 しょうちゃんのブログ 折々の記

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2009.07.01
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カテゴリ:旅行
 

近江、(つわもの)たちの夢跡・城をめぐる(長浜城、佐和山城跡、八幡山城跡) その4

 6月28日、29日、30日のブログ「近江、兵たちの夢跡・城をめぐる」その1、その2、およびその3の続きです。

(上の画像の説明・6月24日、八幡堀を撮りました。)

近江、兵(つわもの)たちの夢跡・城をめぐる(長浜城、佐和山城跡、八幡山城跡) その4

(上の画像の説明・八幡山ロープウェー乗車券をコピーしました。乗車券には、近江八幡に城下町を開いた豊臣秀次の像がありました。)

 再び、ロープウェーで麓に下りると、八幡堀がしっかりと残っていました。

 近江八幡の町の発展に、八幡堀の役割は欠かすことはできません。堀は城を防御するためにあるのですが、豊臣秀次はこの八幡堀を運河として利用することを考え、琵琶湖を往来する船をすべて八幡の町へ寄港させました。

 また、八幡山城下はかっての安土と同じく、楽市楽座を取り入れたことから、商人の町として大いに活気を呈しました。

 多くの商人が八幡の町から全国へと旅立ち、近江商人として活躍した原動力となった八幡堀も、昭和30年ごろになると、人々の生活が変化する中で、次第に市民の関心も薄らいでいき、やがて八幡堀はドブ川のようになり、埋め立てられようとしました。

 しかし、「八幡堀は埋めた瞬間から後悔が始まる」の合言葉により、市民が立ち上がり、清掃活動に取り組みました。その結果、次第にかっての姿を取り戻すようになり、今日でも各種団体による清掃活動が続けられています。

 八幡堀は、写真や絵画の愛好家などが数多く訪れ、時代劇のロケ地としてもしばしば使用されるなど、市民や観光のシンボルとして位置づけられているのです。

 私の訪れたときも、八幡堀はこうした歴史を伝えるかのように水をたたえ、堀端の白壁土蔵の影を水面に映し出していました。

近江、兵(つわもの)たちの夢跡・城をめぐる(長浜城、佐和山城跡、八幡山城跡) その4

(上の画像の説明・6月24日、白雲館を撮りました。)

 このあと、白雲館や新町通りを見学して次の目的地、五個荘(ごかしょう)に向かいました。

 白雲館は、明治10年(1877)八幡東学校として建てられた貴重な西洋風建造物です。平成6年(1994)解体修理され往時の姿に復元され、現在は観光案内所やギャラリーとして利用されています。八幡山を背景にした新町通りは、昔ながらの商家が大切に保存されており、近代化の波にのみ込まれることなく、静かに、穏やかに時が流れていました。

近江、兵(つわもの)たちの夢跡・城をめぐる(長浜城、佐和山城跡、八幡山城跡) その4

(上の画像の説明・6月24日、五個荘(ごかしょう)の昼食場所・楽ごろうえもん入口を撮りました。)

 五個荘(ごかしょう)には、午後0時30分頃到着しました。まず、昼食ということで、おばんざいの店・炭火料理「楽ごろうえもん」という店でランチを食べました。この店は、近江商人、小杉五郎衛門旧宅の蔵を改築した店でしたが、蔵の特徴をうまく残し、店に改築していました。料金1000円のランチは、この日は天丼と多くの総菜がセットされており、何か得をしたような気分になりました。

近江、兵(つわもの)たちの夢跡・城をめぐる(長浜城、佐和山城跡、八幡山城跡) その4

(上の画像の説明・五個荘近江商人屋敷入館券とマップをスキャンしました。)

 このあと、近江商人屋敷に向かいました。「近江商人屋敷」として町が手を入れて保存しているのが、外村(とのむら)本家とその分家、そして中江準五郎邸です。この3館共通入館券(500円)を買い、3館を回りました。

近江、兵(つわもの)たちの夢跡・城をめぐる(長浜城、佐和山城跡、八幡山城跡) その4

(上の画像の説明・6月24日、外村本家の庭にある近江商人の像を撮りました。)

 外村本家は京呉服の販売などで財をなした外村宇(とのむらう)兵衛(へえ)家で、立派な庭にはてんびん棒を担いだ近江商人の像がありました。

 外村分家は「(くさ)(いかだ)」や「花筏」など近江商人を描いた作品で知られる、作家外村(とのむら)(しげる)の生家で、蔵が外村繁文学館になっていました。また外村繁生家の玄関を入ると「川戸(かわと)」と云われる、屋敷内に用水路を引き込み、屋根をかけて洗い場と、防火用水にもなり、そして魚も飼える大きな水溜りがありました。

 中江準五郎邸は、昭和初期に朝鮮半島や中国で()中井(なかい)百貨店を築いた中江家4兄弟の末の準五郎の本宅です。蔵の中には五個荘が生んだ郷土玩具・小幡人形と全国の土人形が多数展示してありました。

 近江商人は、てんびん棒を担いだ一介の行商人から豪商へと成長しました。たくましい商魂を持ち、商才を縦横に発揮した近江商人の家訓・店訓には、永い商売の実践を通じて会得した信念が織り込まれています。

 中江準五郎邸に、「三方よし」と書かれた額が掲げてありました。近江商人の行商は、他国で商売をし、やがて開店するのが本務でした。このためにも、旅先の人々からも信頼を得ることが何より大切でした。

 そのための心得として説かれたのが、売り手よし、買い手よし、世間よしの「三方よし」です。

 近江商人は遠く他国へ旅をして商売をしましたが、取引は当事者だけでなく、世間の為にもなるものでなければならないことを常に考えて商売をしました。結果、その土地で排斥されずに受け入れられ、むしろ歓迎されて大成功を収めたのです。

 近江商人の家訓・店訓は、営利と道徳、企業活動と倫理を考える上で、今日もなお多くの示唆に富む味わい深い言葉なのです。

 近江商人発祥の地、てんびんの里五個荘は、白壁・舟板張りの続く、風情豊かな町でした。

 こうして、一泊二日の近江路の旅を終え、午後7時過ぎ無事池田へ戻ってきました。このあと、I君宅で旅の思い出を語りながら夕食を御馳走になりました。N奥様、今回もお世話になり有難うございました。

 そして、往復の走行距離350Km余りを運転してくれたI君お疲れ様でした。感謝です。

 






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Last updated  2009.07.01 19:58:20
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広い世界は@ Re:藤沢周平著「山桜」を読んで(03/22) しょうちゃん様 映画「山桜」を観ました。…
鷲尾悦也@ Re:三国志の英雄・曹操の陵墓発見のニュースについて(12/30) 痛快TVスカッとジャパン 小宮有紗
おちぇぶ@ Re:塩野七生著・新刊「ローマ亡き後の地中海世界・上巻」を読んで(02/13) こんにちは。調べものをしていて「サラセ…
小林 須佐男@ Re:「三角縁神獣鏡」の謎について(01/19) 倭国の女王が大人の難升米・他を郡(帯方…

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