カテゴリ:日常
誕生日を迎えて40歳になりました。
とうとうというか、ついにというか。 十のケタが一個あがると、世代が変わったって気がするねぇ。 自分が三十代の時は、四十代って違う世代のような気がしてたから。 実際には自分が39歳の時は35歳の人よりは42歳の人のほうが年齢が近いのだけど、そうじゃないような錯覚をしてたな。 数字のマジックだ。 9歳から10歳になった時はとくに何の感慨もなかった。 子供だったので当然かもしれないけど。 19歳から20歳になった時は大阪で新聞配りながら浪人やってて、 一人暮らしだったので、祝ってくれる友達も家族も身近にいなくて、 一人で部屋で缶チューハイを開けて飲んでた。 なんかみじめに感じてた。 29歳から30歳になった時は、会社員としてそれなりに充実してた。 今の奥さんとは出会っていたけど、単なる会社の先輩と後輩で、 学生時代からつきあっていた彼女がすでにいて、 まさか今の奥さんと結婚するなんて思ってなかったし、 インプロなんてものも知らなくて、 勤めていた会社をやめるなんてことも思ってなかった。 思えば、30代は変化に富んだ10年だったなぁ。 結婚もしたし、会社勤めもやめたし、 いろんなことを体験して、沢山の人と出会って。 感謝、感謝です。 40年前にこの世に生を受けて、わけもわからないまま生きてきて、 こういう風に生きなさいと強制されることもなかったけど、 こんな風に生きてはだめという例を示されたりすることはありつつ。 弱々しくちっぽけな存在だった子供の頃から考えると、 読み書き計算もできるようになったし、 パソコン使ったり、車の運転をしたり、インプロをやったり、 いろいろなことができるようになりました。 0歳の自分から考えると、いろんな能力を使えるようになってます。 世の成功者と呼ばれる人たちからすればたいしたことないのかもしれませんが、 子供の頃の自分から考えればすでに成功者です。 幼児の頃の自分から見れば、 ベルトをしたズボンをはけるだけでもスゴいことですから(笑) 四十歳は不惑というけど、不惑な自分に成れているのかな? 自分が二十代の頃、四十代の人ってとても大人に見えた。 というよりおっさんに見えた。 自分もそんな風に見られているのかも。 毎日つきあっている自分なので、 二十代のころとあまり変わらない自分のような気もするけど、 今の自分から見て、二十代の青年は自分より幼く見える部分もあるので、 逆にいうとそれだけ大人になったということでしょう。 アインシュタインの有名な言葉に、 「常識とは十八歳までに身につけた偏見のコレクションのことである。」 というものがあるけど、 僕の偏見のコレクションはそれからさらに22年分溜まっているのですね。 30歳の時には想像もできなかった10年後を今生きているわけで、 これから先の10年も、きっと今から想像もできない所にいるのでしょうね。 20歳のとき、30歳のときは、自分の10年後なんて想像していなかった、 想像できなかった。 でも、想像力を使わないでいると、無意識のままに未来を引き寄せてしまうことが分かっている今、たとえ困難でも10年後の自分を想像し、自分と向き合っていきたい。 想像するのはタダだし、自分の想像力に罪はないので。 これから先も、なるべく馬鹿なことをやって、いっぱい失敗して、 人から軽蔑され、恥ずかしい思いを沢山して、 馬鹿にされるような生き方をしたいと思います。 自分の偏見のコレクションが増えてしまわないように。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年05月22日 14時12分47秒
コメント(0) | コメントを書く
[日常] カテゴリの最新記事
|
|