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1966年10月8日村田徳次郎作。 帰ってきてから色々調べて自分が数々の誤解をしていることがわかった。(^^ゞ まず、黒船来航とは1853年7月8日浦賀に4隻のアメリカ船が来て日本人がびびったというお話なのだ。この時の4隻のうち「サスケハナ」と「ミシシッピ」が帆船ではなくフリゲート船で腐食を防ぐため黒く塗られていたため黒船来航と呼ばれているのだ。 このとき当然ペリーは開国を迫ったのだが、家慶が病気だったので返事を1年待ってもらった。このときに上陸した場所は久里浜(神奈川県)で浦賀でもない。7月17日には江戸の近くを経由して艦隊は日本を離れている。 そして、1年と思っていたら半年後1854年2月13日にまた浦賀にやってきたのだ。今度は9隻やってきた。意外なことに勝手に船を出してアメリカ人と接触した市民がいたのだが、それは吉田松陰が密航を企ててポーハタンに乗り込む前のことだ。 1ヶ月の交渉の結果3月31日に横浜で「日米和親条約」、6月17日に13カ条からなる和親条約の細則「下田条約」が下田の了仙寺(あの寺がそうだったのか!)で結ばれている。 そう下田はペリーが一仕事やり終えた場所なのだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2016.03.11 13:10:53
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