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『プロ野球の南海で戦後初の三冠王を獲得するなどいずれも歴代2位の通算2901安打、657本塁打を放ち、監督としても歴代5位の通算1565勝を挙げた野村克也さんが11日午前3時半、虚血性心不全のため死去した。84歳。』
ノムさんの監督としての輝かしい戦績はあくまでヤクルトでのもので、阪神の3年間はずっと6位であった。ノムさんの阪神での評価は決してよくない。本人も黒歴史くらいに思っているかもしれない。ノムさんに因んでデータで分析してみるともしかしてそうではないのではないかという気がしてきた。 ノムさんが監督を引き受ける前の阪神の状態は。。。 1987 吉田 6位、1988 村山 6位、1989 村山 5位、1990~1995 中村 6/6/2/4/4位、1996 藤田 6位、1997 吉田 5位、1998 吉田 6位、1999~2001 野村 6/6/6位。 2002 星野 4位、2003 星野 1位、2004~2008 岡田 4/1/2/3/2位 ノムさんが語っていたところによると選手を大人扱いし過ぎたという後悔があったようだ。あくまで身体を鍛えるのはプロである君たち、技術と理論を伝授するのが私の役割。理論が分かっても体力がないので後半失速する。その後を星野監督が引き継いで徹底的なトレーニングから始める。身体づくりをプロに任せるならばダメならバッサリ入れ替えなのだが、人情派のノムさんにはできなかった。星野監督は金本、下柳など必要な補強し、生え抜きの赤星、藤本などとの相乗効果で2003年に遂に優勝する。 暗黒の時代と言う人、土台を作ってくれたという人関西人の意見は今でも分かれている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2020.02.12 10:00:25
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