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第25回は築山殿と信康の最期が描かれた。 岡崎衆が戦に疲れ、武田との同盟に活路を見出そうとしていたが、浜松側があくまで信長との同盟維持で武田とは徹底抗戦。
五徳からの訴状によって信康の不始末が報告される。信長は家康に処断を任せる。家康としては跡取り息子を当初助けるつもりだったようだ。
既に岡崎城の信康付を三河から遠ざけたり、直接説得に行ったりしていたが、家康は信康の廃嫡を決める。岡崎城から追放、大浜で謹慎させられている。さらに堀江城に移される。
この20日後に、築山殿が浜松へ移される途中、佐鳴湖畔で自刃にて他界している。
さらにその15日後、幽閉先の二俣城で信康が自害している。これは家康に命じられたものらしい。というのも介錯に服部半蔵が送りこまれているからだ。
服部半蔵は涙で介錯することが出来ず、見かねた天方通綱が代わって介錯したという話もある。
跡目争いで兄弟での殺し合いもあたり前のこの時代でも、嫡男に切腹を命じたケースは稀らしい。
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Last updated
2023.07.04 08:34:01
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