原民樹戦後全小説
奥様のことを、とてもとてもお好きだったのですね。原民樹さん。妻がいたときの景色。妻の質量。書いて、手をとめて、視線をあげて、妻を克明に思い出し、その姿を見、とどめるために書く。一筆を書いて目を上げる。妻を思い出す。手の形、まなざし、空気の動き、日差し。妻の姿を見る。そして書く。そのままを書く。妻を思い出にはできず、喪失感が薄れていくことも嫌で、繊細に繊細に妻を呼び起こす。生者の世界ではない。半分、幽界に入り込んで、妻を恋うて。だから、会いに行けたのだろう。自らさっさと命を絶って、たった一人に、会いに行ったのだろう。