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2006年09月20日
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カテゴリ:読書日記
川端有子 河出書房新社

少女小説から世界が見える

ジョー、ペリーヌ、セーラ、アン、ジュディ。
ご存知ですよね。若草物語、家なき少女、小公女、赤毛のアン、あしながおじさん。
どれも大好きな物語。

歴史の中に、この甘やかな少女小説(家庭小説)を置き直し、その世界の背景を読み解いていく解説書です。副題は「ペリーヌはなぜ英語が話せたか」。歴史の中におきなおすと、なるほど、理由があったのですね。新鮮でした。とても。
そうして、その世界の中で営なわれていく女性の生き方と、時代の思想。「現代」から省みるからこそ、不自然な世界。少しずつひっかかっていたことが、言葉によって表されていく。すべてに納得したわけではないけれど、今まで微かに感じていた違和感の形をつかめる感覚でした。

たとえば、小公女。
私がこの物語の中の誰かになれるとしたら、セーラよりもベッキーの方が性格がよくて好ましいのだけれど、最後までセーラに仕えるしかできない存在でいるってのもいやだなって、思っていました。
セーラが最後までお金持ちの後見人に出会えないなら、セーラもベッキーも死ぬまで劣悪な環境でただ働きを続けるしかなかったでしょう。ぐうぜん、セーラはお金持ちの後見人とめぐりあい、元のようにお姫様のような暮らしを手に入れる。ベッキーを小間使いにして。
階級はあるの?
生まれたときから違うの?
物語の筋自体は、波乱万丈で大変におもしろかったのですけれど、ほんの少し心に残った棘。
(ベッキーはいい子だけれど、)
生まれたときから、ベッキーだったら、悲しいような気がする。ベッキーが「ありがとうございます、お嬢様。」繰り返して喜ぶときほど、悲しい気分が心の底にもやもやとする。
それが、セーラの限界だった。
セーラの生きた大英帝国の黄昏の時代の社会だった。
すっと、定規で線を引かれるような気がしました。そうか、現代人の私が読めば、いくら子どもの時分だって、もやもやして当然だったんだって。

ジュディは自分で稼ぐでしょう?
あしながおじさんがくれる援助を当たり前のものとして享受しない。毎週の手紙を送り、課題をこなし、自分の才能を生かすべく小説を書き、新聞に送る。成績をあげて奨学金を勝ち取り、小説の賞金で生活費を工面する。
奨学金を辞退するように連絡してくるあしながおじさんを袖にして、彼女はおじさまから独立しようとする。
このおしゃべりで見栄坊でコンプレックスの塊で、毎日を楽しむ天才で、とびっきりに明るいジュディが、私はほんとに好きでした。だって女の子の手紙って、ずっと読んでいるとあきてくるでしょう?日記の体をなして書かれる小説も、よっぽどの起伏がないと、読んでいるうちに文体にあきてきてしまう。
だけど、ジュディの手紙にはそれがない。毎日の大学の勉強に刺激され、影響を受けて、お茶目にくるくると変わっていく表現。あんな手紙を毎週もらえば、だれだって、彼女のことが好きになっちゃう。

ジュディの時代は、女の子が大学に行き始めた時代。
第一次世界大戦を経て、女の子が労働力になりはじめた時代。
富国強兵のために、丈夫で賢い女性が必要になりはじめた時代。
だからジュディは、賢くて明るくて元気で、しっかりしているのにどこか従順な、素直ないい子なのでしょうか。

「続・あしながおじさん」を読んだのは一度だけ。
こちらはサリーの書簡なので、ジュディあての手紙の中で、少しだけ、ジュディのその後が垣間見られます。ジュディは一女の母となり幸せに優雅に暮らしているようだけれど、「あしながおじさん」時代のパワフルな元気を感じることができず、なによりジュディが小説を書くことをやめてしまっているようなのが、とてもさみしかったのでした。
あのジュディですら、お金持ちと結婚したら、家庭に閉じこもっちゃうのかって。
せっかく、小説を書いていたのに。きちんとお金に結びつく小説を、書けていたのに。

この「少女小説から世界が見える」は少々、ジュディに対して筆が辛らつです。私はジュディの無邪気を肯定するので、まったくの同感はしないのだけれど、ジュディが「書く力」を手放したことは、川端有子さんと同様に、現代から見て、肯定できる点ではありません。
そうして「続・あしながおじさん」を読んで(なにか変だな。)と思ったことが、はっきり指摘してある。(私の違和感はこれだったんだ。)
なんとなし、整理がつきました。そうして、この物語が生まれた背景が、アメリカにあったこと。世界と時代の思想が、第二次世界大戦を呼んだのだろうか、と遠く思いをはせました。

ふりかえると気がつくのに、人はどうして、その最中に気がつくことができないのでしょうね。
一生懸命に、ひたむきに、清らかに生きようとする少女の中に、時代の思想の核はある。
100年たって、今の時代を振り返ったら、やっぱりいびつにみえるのでしょうか。ゆらぐまい、ゆらぐまいと、私は必死なんですが。
100年後、魂になってから、図書館へおでかけしたい気分です。





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最終更新日  2006年09月21日 00時05分05秒
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