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カテゴリ:精神
私には「先生」が何人もいます。
それぞれの先生が私の人生に大きな影響を与えてくれました。 その中でも「この先生がいなかったら今の私はない」と断言できる人が一人います。 その方は私の学生時代の剣道の先生に当たりますが、 最近は環境も違うせいか、中々稽古をお願いできていません。 しかし、先日ある先輩の話からこのことについて考えさせられました。 先輩が言うには 「もっと先生に稽古をお願いしないともったいない。みんなが羨むような先生に教わる機会があるのだから。それに先生だっていつまでも同じように教えてくれるわけではない。 あと100回先生と稽古できれば必ず大きな違いがある。」 これまで、先生は比較的近くにいるからいつでも稽古をお願いできると思っていました。 でも、考えみると先輩がおっしゃるとおり 先生が「今のように指導ができる」のはあと10年はないでしょう。 10年を超えても稽古はお願いできるかもしれませんが、 先生の心身気力はいつまでも今のように充実しているわけではありません。 そう考えると100回という回数は現実的に厳しいリミットということになります。 なんとなくではなく、意識的に取り組まないと達成できないリミットです。 先生や人から教わるということは、当然永遠に続くものではありません。 しかし、身近にそのような人がいると「いつでも教えてもらえる」と錯覚し、 貴重な機会を逃し易くなります。 人生に影響を与えてくれるような人に巡り会えるのは幸せなことです。 そして、そんな素晴らしい先生の教えは、世の中に広め、伝えられるべきで、 直接指導を受ける人にはその義務があると感じます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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