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テーマ:躰道(創造進化の武道)(114)
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山に行こうって言う場合なら弁当。おやつ。雨具。水筒。それらを持っていく。登山をするために最低必要なものだからだ。どうしてもしなくてはいけないよ。ということだからだ。そしてこれがルールというものになる。やぶると人に迷惑のかかるものがルールだ。守って当然のことがルールだ。
弁当を持ってこない。するとどうだろう。先生のもってきた弁当をゆずる。とか、少し気のきいたことをいうと、みんなが少しずつ弁当をわけてくれたおかげで友情が深まった。こんなこともあるだろう。ただ、幼い頃から、こういうことがあたりまえで、まるで叱られない。注意されない。という育ち方をしてきてはどうだろう。荷物のチェックが甘くなる。もしくは親が全てを用意してくれる。確認を頼むのはあたりまえかもしれない。だから、五年生くらいになったら親にみつかってはまずいものを持っていくくらいになれば逆に自分で準備もするようになるだろう。そのしぐさを妙だと思ったらそれに対して親も考えねばならないと思う。 いい歳になってから、海外旅行にいくとして、空港についてからパスポートがないと騒ぎになる。誰もわけてくれないし、これが修学旅行ならみんなに迷惑をかけて、慰め、かばう友達もいるだろうが、せめられて当然だ。たまたま忘れることもあろうが、普段からあほら口をあけて生活する習慣があるとそうなっても不思議じゃない。まるで波のない、同情すればいい人的な考えを捨てないかぎり、そいつは何も変われないし、ルールを限りなくやぶっていく。 ルールをやぶったあげく、そのことに対し嘘をつく。よくドラマやなんかでみると、それを親に注意した先生がそのPTAから逆ギレされる傾向がある。それでは指導はできない。そして、集団万引きで補導されたときなんかには自分の子がしたのにもかかわらず、先生にくってかかる親。別の子になすりつけようとする主犯格の子の親。現実は小説より奇なり、などというが、そういう面をまだまのあたりにしたことのない私ではあるが、そうなったらと考えただけで逃げたくなるほどゾッとする。 先生はお巡りさんと同じだと最近感じる。スピード違反やシートベルト、つかまったときは「クソオマワリ」「人の税金でくってるくせに」なんていうが、いざ自分に火の粉がかかるようなときは「お巡りさんたすけてください」「ゆるしてください」に、かわる。 とうとう、自分の子が手におえなくなると「先生だけが頼りです」なんていう。お調子者なのか、嘘つきなのか、それはわからないが、親の無責任の被害妄想と同じで、その昔に言われたほうの先生は忘れないと思う。 自分が高校生のころ、こんな話があった。体育の授業でマラソン大会の練習をやった別のクラスのやつ三人が先生に鼻血がでるほどなぐられた。おきまりで、親が登場。先生は謝罪させられた。そして学校を辞めた。辞職だった。「ばかばかしくなった」といっていた。殴った理由は決められたルート以外を通ったからだ。「それだけで?」というふうに思うかもしれない。これは大変なことだ。躰道で、指導者が言ったことと違うことを故意に行った場合はそれはきびしく処罰されるし、それを続けるようなことがあれば破門だ。大人の世界でもあるだろうが、通勤ルートが決まっていて、近道かなんかのつもりでそれ以外の道路をを通り事故をおこした場合は保険がおりない。労災もおりない。そんなことと同じだ。それを未成年のうちだからと危機感を持って指導しようと思っている教師をつぶすのはかなり乱暴な世の中だ。汚い金の匂いをかぎわけ、周囲に良く思われることだけを考え、そっちに進めとばかりに育てる親ばかりいる、この世で、どのようにして、人を認め、そして信じあうかがわからなくなっている。 本当のひとつかみだけの人間でわかりあっているマスターベーションにはもうあきた。 二十歳もすぎて、親の嘘、悪いこと、自分がやられていやだったのに矛先が誰かに向けばすぐ傘下に入ろうとする。そんな人間が人より立場が上になりたいと考えているのが私にはよくわからない。そういうのは末代まで、しっかりつづく。偽善者とはいわないが、嘘はつくな。とは言いたい。ただ、そういう人間に力でぶつかりあってもいけないという宗家のの教えに基づいて、ある程度言ったところで「はいはい、そうですか」というようになってくる。 そういうのが一つふえれば、信じあえる仲間の増えてくるから、かまっていられなくなるのだろうか。体は一つで、時間も止まってはくれない。ルールにそむく奴、嘘をつくやつには道場では時間を与えない。 それが、例え道路であっても教室であっても同じではないだろうか。 ただ、家庭に限定すれば、こんなルールもあろう。親が嘘をつけというえば、子供はゲームを楽しむように忠実だ。 テレビでやっている問題はこんな些細な、しかし、それらやっているものは気づかないほど夢中になっている。もしもにでも、自分にそんなことがふりかからないようにと願うのは無責任だろうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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