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高木康政

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2007.07.12
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カテゴリ:カテゴリ未分類
ブルガリア紀行は前回お話しましたが、今回はウイーンのお話をしようと思います。
ブルガリアにはウイーン経由で入国したので、バラをたっぷりと堪能した後、ウイーンでの時間を過ごしました。

シュテファン大聖堂
(シュテファン大聖堂です)

空港に降り立ったとき、本当に懐かしさがこみ上げて来ました。僕が前回この街を訪れたのは15年前、若干26歳の頃でしたから(^^)

ウイーンはオーストリアの首都で、「音楽の都・楽都」と呼ばれるほど音楽が盛んな街です。
ピアニストやバイオリニストなど、数々の音楽家や、音楽家を目指す若者などが集う深い歴史のある街なのです。

コンサート
(コンサートを見てきました)

もちろん音楽だけでなく、お菓子に関しても深い深い歴史があります。

例えば現在の、ホテルザッハ、インペリアルホテル、デメル、ハイナーなどの、心から素晴らしいと思える完成されたお菓子たち。
なぜウイーンではこんなにもお菓子が発達したのでしょうか?

それは、中世から20世紀初頭まで現在のスイス領内に発祥したドイツ系の貴族「ハプスブルグ家」が大いに関わっています。
ハプスブルグ家は、政略結婚による領土拡大によりヨーロッパ一円を取り仕切っていました。
一家の女帝「マリア・テレジア」は、大のつくお菓子好き。当時の国民は、王室に献上するためのお菓子作りに精を出し、ウイーンの菓子職人の技術は目覚しく向上したのです。

マリアテレジア
(マリア・テレジアの肖像画です)

そしてこの技術が、マリア・テレジアの娘、「マリーアントワネット」により、フランスに伝わりました。彼女はバラをこよなく愛し、バラをフランスに伝えたのも彼女だと言われています。

マリーアントワネット
(マリーアントワネットの肖像画です。
ちなみにハプスブルグ家の血を引く人は代々狐顔なんだそうです)


マリーアントワネットは「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」と発言したことで大変有名ですし、今年1月に映画にもなりましたよね。
彼女が18世紀にフランス国王「ルイ16世」の元に嫁いだとき、ウイーンから菓子職人を連れていったそうです
こうして、ウイーンのお菓子がフランスに伝わり、フランス菓子の基盤が作られたんです。フランスの菓子職人は、自分たちのアイデアでアレンジし、今のフランス菓子と呼ばれるものを創り上げました。
ですから、フランス菓子の起源はウイーンにあるといっても過言ではないでしょう(^^)

ウイーンは歴史と伝統を重んじ、現在まで引き継がれたお菓子が多数あるので、パティシエにはとても勉強になる街です。
僕も15年ぶりに訪れ、本当に感動しました。


ウイーンのお菓子は日本のものに比べて、かなり甘みが強いんです。
定番のザッハトルテも、15年ぶりに食べましたがやっぱり甘い・・・。
でもね、確かに甘いけど、ショコラとアプリコットジャムなど、様々な甘味のバランスが絶妙で、シンプルだけど完成されたスイーツだなぁと改めて思いました。
とってもおいしかったです。ごちそうさま(^^)

ザッハトルテ
(ホテルザッハのザッハトルテです)





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Last updated  2007.07.12 17:36:49



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