カテゴリ:俳句
薄紅のリップひと舐め立春 季語:立春 お題:加湿器 歴史というと、日本では国家や豪族、貴族(公家)、将軍、大名などのイメージが強いが、現在使われているものの数々にも起源や歴史がある。 歴史学者や学芸員ではないけれど、一時期博物館に勤務していたこともあり、そのせいか様々なことを調べていくうちに思わぬものの歴史に触れて、目から鱗という感覚を覚える。 さて、今回はリップから紅の歴史を調べてみた。 紅というと、やはり「伊勢半」のサイトが有名のようである。 そのサイトから紹介する。 日本では、口紅といえば、紅花から作られる「紅」のことだったという。 赤色の色素を取り出せる数少ない植物のひとつは「紅花」であるとされている。 その紅花の原産はエジプトで、シルクロードをたどり、3世紀中頃に日本に入ってきたといわれているそうである。 平安時代には、当時の流行色、王朝の代表色として人々を魅了し、紅花栽培は日本各地にひろまっていったという。 その紅花の日本での代表的な産地が、山形県。 山形県で紅花栽培がはじまったのは室町時代末期ことであるという。 最上川の川霧や弱酸性の肥沃な土壌、7月の梅雨時期に開花する紅花の特性に適した気候風土(開花に必要な25度以上の気温があり、台風の被害が少なく空梅雨に近い気候は、風による倒伏を防ぐなど)がその理由だとされている。 また京や江戸に大量に紅餅を運ぶことのできた最上川舟運や西廻り航路によって、江戸時代中期には、最上川流域は、量、質ともに日本一の紅花生産地として栄えたそうである。 ところが、江戸時代末期になると安価な化学染料が輸入されるようになり、明治の初期には、紅花は統計上途絶えてしまったという。 第二次大戦後、かろうじて発見されたのが、紅花農家の囲炉裏の火棚にのっていた最上紅花の種だった。 その種からわずか3本の発芽に成功し、その芽から広がった紅花は、1983年山形県の花として認定され、今日では、毎年7月初旬、最上川流域では蛍のように黄金色に輝く紅花が咲き、江戸時代と同じように早朝の紅花摘みの風景をみることができるようになったという。 まさに奇跡の種といっても過言ではないだろう。 江戸時代、紅の中でも玉虫色に輝くものは良質とされ、美人の代名詞・小野小町にあやかって、「小町紅」と呼ばれていたそうである。 紅は、容器の内側に塗り自然乾燥させ、水につけた筆やつばをつけた指で溶いて使うというスタイルが主流だった。 赤色ではなく美しい玉虫色へと変化した紅を、上層階級の女性たちは、唇やまぶたに塗ったり、爪の先に点を描くなど、口紅、アイシャドウ、ネイルアートのように楽しんでいたのだと伝えられている。 日本では、古来より赤は特別な色とされてきたといわれている。 太陽が“赤い”という感覚は、日本独特のものらしい。 欧米諸国では“黄色”とされているという。 薄紅色、朱色、小豆色など、日本は赤色だけで52種類もある。 また、「久礼奈為(くれない)」や「末摘花(すえつむはな)」 などと称して、『万葉集』に数多くの詩が詠まれていることからも、紅の優雅な色が当時の人々の心をとらえていたのかもしれない。 参考・引用:「伊勢半本店 紅ミュージアム」
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最終更新日
2021.02.03 10:43:16
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