テーマ:道徳。(180)
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教職員免許という国家資格が存在する日本において、
塾という存在は理論的に考えて完全なノミ行為です。 医療を始め美容に至るまで、無資格ならば悪とされる中、 どのような理念を持ち、どのような価値観を持っておられるのか、 論理的に考えて悪害である状況に身を投じておられる心理が、 まったくといっていいほど理解が出来ないのです。 少なくとも、倫理や道徳を少しでも持ち合わせている人間であれば、 多少なりとも後ろめたさや矛盾を感じておられるはずです。 もちろん。 感情的で道徳的な観点から言えば、 人を教育するという情熱は、 資格など凌駕してしかるべきであると言えます。 しかしながら現在問題になっている 「詰め込み教育」を生み出したのは紛れも無く このような無資格状態における教育提供者であると言えます。 もちろん資格を所持していようが、落伍者は居ます。 頻繁に報道に乗せられる教師による不祥事を見ていれば、 嫌がおうでもその現実は確認させられます。 しかし、資格所持を原則としている以上、 対策を立てることによって是正を望むことは可能です。 またその方策そのものが資格の意義であるとさえ言えます。 その意義に背き、個々の主観によって思索することは、 原則としてやはり悪害であると私は認識しております。 例えその者が功績を持ったとしても、その行為自体が悪害であると。 天才無免許医師であったとしても、 その資格が無い以上やはりアウトローな存在でしか無いと言えるように。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007.04.19 09:15:09
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