テーマ:道徳。(180)
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今、謳歌しているんだ、
なんてどんな人でも感じる事はあまり無いだろう。 青春でも夢の実現でも、過ぎ去ってふと立ち止まり、 歩いてきた道を振り返った時に、 あの時謳歌していたんだと感じられるものなんだと思う。 その渦中の時は、 そんなことを意識出来ないくらい熱唱しているからこその 「謳歌」 そう思う。 戦い続ける事は意外に簡単で、仕方のない事と諦め、 見て見ぬふりを続ける事の方が実はしんどい。 現実は俯瞰で見れば流れる川のように 優雅に滾々と静かに進んでいるが、 瞬間が一つ一つ見える渦中では、 あちこちぶつかりながら転がり落ちているようなもんだ。 見えない知らないなら、本当に幸せだろうとは思う。 同時にそれは恥の原型であるとも。 その原型すらも見えない知らないならば、 生きているんだと対外的に証明出来ないだろう。 世の中に対しての不満や憤りを常に発散させて、 それを深く思慮していくことは、 大人気ないだとか、幼いだとか。 世の中にはどうしたって解決できない事もある、 根本的な部分で矛盾だらけなんだからと。 それも一つの正論だろうと思う。 ただ、それは本当に成長したということなのだろうか。 無知から成長し、やがて無知に還る。 ならば人間の脳なんてどれだけ賢くても、 やはり無意味なんだな。 まさにアルジャーノンに花束を、だ。 俺は還りたくない。 どれだけ幼いと後ろ指さされようが、 死ぬまであがいてやる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007.04.18 11:35:29
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