テーマ:道徳。(180)
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不思議なもので、
観念ってほぼ全てがある程度物心付いた時から存在しているもの。 少なくても「そう思っていなかった時」という観念は 記憶から消え去ってしまう。 観念が出来上がった時点で、 様々なそれまでの概念と深く結びついてしまうものだからだろうか。 神は存在する。 その観念が芽生えた瞬間に それまで色々培ってきた他の概念と深く結びついてしまう。 ポカッと一つだけ抜けたパズルに、違う形のピースは入らない。 違うと思っているピースをそこに置いた時点で、 他のピースを外していかなければならなくなる。 どうしたって集団志向からは抜け出せない 現世主義の日本人には宗教は不釣り合いなんだ。 これはもう血だよ。 宗教は現世のパズルではなくて、 無地の違う大きさのパズルだって事にどうしても気付くことが出来ない。 カルトは教祖が作っている訳ではなく、実は信者が作っている。 不可思議な理論をすれば、 神は受け入れられない内は、神は神として存在出来るのであって、 受け入れられた瞬間に神は神をさせられている状態になる。 対立すべき存在は、受け入れちゃいけない。 そうすることでいつまでも対立すべき存在で居てくれる。 それはそれで貴重な存在だよ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007.05.08 08:55:05
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