テーマ:道徳。(180)
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しかし同じ日本語を使っていてさえ、
どうしてこんなに通じないんだろうな?って、いつも感じない? もう話し手の口を出たとたん、 「話し手の意思」とは異なっちゃうんだよな。 それが聞き手の脳に入ってきたら、さらに形が変わってる。 まさに「バベル」 ある意味その辺はかなりアバウトに消化しなけりゃいけない。 疑問に対しての説明責任は果たすけれど、 納得されるともうどうしようもないね。 哲学的な考え方をすれば、 例え真意とは違えど、それも一つの真理であると。 もちろん限りなくこちらの真意に近付けるよう努力はしたい。 が、どうしたって言葉を選んでいくことで、 こぼれ落ちてしまう真意はある。 もうこれは無形のものを有形にする必然だろうと割り切るしかない。 思うにこの感覚は翻訳家ならばごく日常的に味わうものなのだろうね。 言葉の深度を減らす事で、それなりに誤解は回避出来るんだけど、 伝えたい真意はもっともっと深い事が多い。 そのバランスはいつだって賭けだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007.05.09 08:35:15
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