パクス・ジャポニカ Vol.2

2022/03/09(水)11:04

東海道~大磯宿(神奈川・大磯町)その1

東海道五十三次(54)

大磯は律令国家の時代には相模国の国府が置かれ、江戸時代になると江戸日本橋から数えて東海道8番目の宿場町となりました。 旧東海道は現在の大磯駅の南側を通っており、広重の浮世絵にはすぐ横に海が広がっています。 歌川広重「東海道五十三次 大磯」 こちらが現在の東海道です。 歌川広重の浮世絵では雨が降っていますが、こちらはいい天気でした。 当時は本陣が3軒と旅籠屋が66軒もあったようで、舗装道路を歩きながら過去の賑わいを想像していました。 小島本陣の跡 小島本陣の南側には延台寺があり、ここは曽我兄弟の仇討ちに縁のあるお寺です。 延台寺本堂 なにやらお祭りが行われているようで、お囃子の音がずっと流れていました。 曾我物語の曽我兄弟を追善するため、虎御前が曽我堂を建立したのが、延台寺の始まりと言われています。 曽我堂 延台寺には、工藤祐経が曽我十郎を返り討ちにしようとした時、曽我十郎の身代わりとなって矢や刀を受けたと伝えられる「身代わり石」が安置されているとのことでした。 延台寺からさらに西へ進むと、尾上本陣の跡がありました。 尾上本陣跡(食堂になっていました) 尾上本陣から街道を外れた所に地福寺があります。 地福寺 地福寺の境内には島崎藤村の墓所がありますが、墓地に比べて墓碑はとても小さく目立たない感じでした 島崎藤村の墓所 大磯宿の東海道は海岸線に沿うように通っており、大磯港のある照ヶ崎付近で大きくカーブしています。 問屋場付近の旧街道。 当時はこの辺りに問屋場があり、現在も旧家(お菓子屋)が建っていました。 「大磯名物西行まんぢゅう」の文字があります。 海岸線はすぐ近くにあり、砂浜の広がる照ヶ崎海水浴場は「海水浴発祥の地」となっています。 海水浴発祥の地の碑 照ヶ崎からは伊豆半島や真鶴岬が一望でき、さらには水兵線上に伊豆大島を眺めることができました。 右端が伊豆大島で左は三宅島だと思います。 写真で見ると小さいですが、伊豆大島はよく見えました。 照ヶ崎からさらに西へ進んだ鴫立沢の街道沿いには、俳句道場であった鴫立庵が建っています。 鴫立庵は、1664年に崇雪が草庵を結んだのが始まりです。 1695年に俳人大淀三千風が入って第一世庵主となった後、1768年に白井鳥酔が再興して庵主となり、京都の落柿舎、滋賀の無名庵と並んで日本三大俳諧道場の一つに数えられています。 また敷地内に建てられた石碑に「著盡湘南清絶地」の銘文があることから、「湘南発祥の地」とされています。 湘南発祥之地の碑 その銘文らしき石碑があったのですが、よく読めませんでした。 鴫立庵の名前は、西行の歌「こころなき身にもあはれは知られけり鴫立沢の秋の夕暮」に因んで名付けられました。 大磯名物「西行まんぢゅう」の由来がようやくわかりました。 鴫立庵を過ぎた後も、大磯宿はまだ続いています。 関連の記事 東海道~平塚宿→こちら

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