2022/03/29(火)16:40
甲州街道府中宿(東京・府中市)
江戸日本橋を起点として、甲州街道4番目の宿場町が府中宿です。
現在は大國魂神社(六所宮)の鳥居前を通る、都道229号線が府中宿の旧甲州街道を踏襲しています。
府中宿には新宿・本町・番場の3町があり、本町に本陣が置かれ、新宿と番場に脇本陣があったようです。
本陣のある本町は、甲州街道と交差する川越街道や相州街道(鎌倉往還)に沿いに広がっていました。
その甲州街道と鎌倉往還の交差するところには、現在も高札場が残っています。
江戸時代後期から現存する高札場です
「札の辻」や「札辻」など、かつての高札場の地名だけが残る宿場町はいくつも見てきました。
現在の交差点に残る高札場を見ると、連綿と守り続けてきた府中宿の方々には、頭の下がる思いがします。
1950年代の写真だそうです。
ところで武蔵国府の場所については諸説あったようで、1950年からの発掘調査によって、ようやく現在の大國魂神社の場所だと特定されました。
その発掘調査の中で、甲州街道府中宿に関する出土品もあったようです。
灯明受け
これだけの量を所有するのは個人宅だとは考えにくく、旅籠屋などであったと考えられています。
土瓶と湯呑
土瓶と湯呑から和菓子に関するものだとされ、江戸の文化人のサロン的存在であった旅籠屋、「四人部屋」との関連が裏付けられました。
番場宿の脇本陣跡
東海道や中仙道に比べても、甲州街道を参勤交代で利用する大名は圧倒的に少なく、信州の高島・高遠・飯田の3藩だけだったそうです。
脇街道と呼んでもいいほどの位置付けながら、街道筋がこれだけの賑わいをみせていたのは、どういう理由からでしょうか。