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■尊敬する将帥は児玉源太郎 - 大島
日露戦争でいえば、私が一番尊敬するのは児玉源太郎です。 日露戦争の時、旅順を攻めあぐんで肉弾攻撃を続けている 乃木大将に代わって、日本から運んできた巨砲を据えて 3週間ほどで砦を陥落させてしまった。 児玉源太郎は乃木大将と違って、攻撃目標を定めた上で、 その弱点を見抜いて全カを挙げてそこを叩いた。 「着眼大局」「着手小局」を見事に体現しています。 司令官はこうでなくてはいけません。 逆に大嫌いなタイプは、その乃木希典。 ああいう精神主義者は本当に嫌いです。 司令官というのは何万人という将兵の命を預かっている わけですから、やはり合理的でないといけない。 「突撃、突撃」という肉弾攻撃で、あんなに兵士を殺しては 将帥とはいえません。 ■実戦経験が問われなくなった日本の軍隊 - 渡部 私がわりと好きなのが黒木為禎です。 日露戦争では一番いい戦いをした将軍です。 黒木大将の第一軍は位置的には端に布陣していましたが、 これが常に重要な時に勝ってくれたので、その他の軍も 危うく助かりました。 「救国の英雄」といってもいいと思います。 ところが日露戦争に参加した軍司令官では、 黒木大将だけが元帥になれませんでした。 薩摩出身で、長州閥ではなかったという理由もあるかも しれませんが、『KUROKI』という英語の本まで出て 外国であまりにも評判が良かったため、 陸軍内で嫉妬された側面もあったと思います。 あの頃の日本陸軍には、すでに嫉妬があったのです。 そしてその後の日本軍は、実戦の経験や軍功があまりカウント されないで出世が決まっていくようになります。 先ほど話にでたハンモック・ナンバーのように、 学校でどんな成績をとったかが出世の決め手になっていく。 私は「陸軍大学校」という名前をつけたことが、 そもそも間違いだったと思っています。 陸軍大学校というと、何か最高の司令官を育成する学校 のように錯覚します。 しかし実際に教えていたことは参謀学にすぎません。 本当は「陸軍参謀学校」ぐらいにしておけばよかったのです。 そうすれば、司令官は他にいるんだぞという発想になった ことでしょう。 参謀と司令官はまったく別物なのです。 ■司令官育成の四原則 - 大島 司令官というものは、なかなかつくれません。 後でも触れますが、私はSFCGの関連会社をどんどんつくって、 今の幹部たちを「社長」に掘えて大いに活躍してもらおう という構想をもっています。 いわば彼らには司令官になってもらいたいわけです。 資質というのは、磨けば磨くほど光るものだと思います。 しかし実際をいえば、物事に動じず、判断を誤らず、 その上、常に勝利を目指し続ける司令官を育成していくのは とても難しいのです。 そこで私がSFCGの幹部たちによく言っているのが 「成功四原則」です。 (1) 考えが変われば、行動が変わる。 (2) 行動が変われば、習慣が変わる。 (3) 習慣が変われば、人格が変わる。 (4) 人格が代われば、運命が変わる。 何かを感じたら、すぐ行動に移す。 どんな単純なことでもいいから、まず行動に移すことだ。 とりあえず実行してみる。 いわば陽明学の「知行合一」の精神です。 そしてそれがいい結果を生んだら、その行動を習慣にする。 人間とは不思議なもので、そうすると「勝ち癖」のようなものが ついてきます。 人格まで変わってくる。 積極的な人格になります。 積極的な人生観を持つようになります。 そうなると、運命まで変わってくるのです。 『異端の成功者が伝える億万長者(ビリオネア)の教科書』(渡部昇一氏・大島健伸氏共著)より お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005.01.31 00:59:46
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