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『肝、病を受くれば、すなわち目視ること能わず。
腎、病を受くれば、すなわち耳聴くこと能わず。 病は人の見ざるところに受けて、 必ず人の共に見るところに発す。 ゆえに君子は罪を昭々に得ることなきを欲せば、 まず罪を冥々に得ることなかれ。』 (肝臓を病むと目が見えなくなり、 腎臓を病むと耳が聞こえなくなる。 このように病気というものは最初は人に見えない内部からおきて、 やがては誰にも見えるようになるものである。 それゆえ、君子たるものは、人目につくところで 罪を犯さないようにしたいと思ったら、 まず人目のつかないところで罪を犯さないように 心がけなければならない。) 罪を犯す人は、誰にもわかるまいと思って犯していると思う。 しかし、衆目から逃げることはできないもので 天知る、地知る、吾知る、子知る、 で最少四者は知っていることになる。 仮に自分だけが知っていたとしよう。 独り知っていたとしても、罪を犯した償いをまぬがれることは できないだろう。 自責の念、劣等感、引け目などいずれも終身刑に当たるだろう。 こうした「自分で、自分に科した罪」ほど勇気を妨げるものはない。 私の場合、身から出た錆とでもいおうか、 例の青年時代のヤカン頭である。 当時私は尺八を楽しんでいた。 三味線、琴との三曲合奏には有名校出身、良家の若い女性と 席を同じくする。 しかし、話しかけたこともなければ、見つめたこともない。 なんとなく引け目を感じたからだ。 尺八、琴の先生から「この中からお嫁さんを探しなさい」 と言われたこともあったが、全くその気にもなれなかった。 劣等感が先立ったからだろう。 (『菜根譚』を読む 井原隆一著より) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005.07.16 12:02:13
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