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『恩を施す者は、内に己を見ず、外に人を見ざれば、
すなわち斗粟(とぞく)も万鍾(ばんしょう)の恵みに当たるべし。 物を利する者は、己の施しを計り、人の報いを責むれば、 百いつといえども一文の功を成し難し。』 (人に恩を施す者は、心の中に施す自分を意識することはない。 相手の感謝や賞讃を考えなければ、わずかな恩を施しても 莫大な恩恵にも価するものである。 反対に、人に利益を与える者が、自分の利益を計算したり、 その報酬を求める心を起こしたりすれば、 仮に大金を与えたとしても、ビタ一文にも価しないものである。) ある社長がこう話してくれた。 「私は創業間もなく経営に行きづまり、わずかな物品でも 現金引き換えでなければ買えなくなった。 そうした中で近くの豆腐屋さんが 『人間誰しも浮き沈みはあるもの。 豆腐で飢えがしのげるならいくらでもお持ちなさい、 払えるようになったら払ってくれればよい』 と言ってくれた。 その豆腐屋さんからは、今でも買っている」と。 その会社は、今、当時の何十倍にもなっている。 そして社長は 「とにかく売ってくださるということはありがたいことです。 ですから、うちの諸支払いは月末締め切り、翌月5日払いですが 5日には社員が購買先の豆腐屋へ出向き、 『先月はありがとうございました』 といって支払ってくる」と。 豆腐屋の昔の主人は生きていないだろうが、受けた方は、 死んでも恩が死ぬことはないと思い込んでいるのである。 これと同じような体験が私にもある。 私が十歳の時である。 父に、本を買うカネをねだったところ、 家の前にある畑に生えている柿の木を指さして 「あの実を採って売ってカネをつくれ」 と言って、売り先の地図を書いてくれた。 翌朝、31個採ってザルに入れ、浦和の八百久(正塚久蔵さん) の店先に立ったが、雨戸が開いていない。 戸袋の前で腰を降ろしていたところ久蔵さんが雨戸を開け、 用件を聞かれた。 朝早く盗んで売りにきたと思ったのであろうか。 私が父の名前を告げると了解したらしく、 柿のヘタの近くをなめて 「まだ渋が残っている。 今すぐの売り物にはならないが、売ったカネを何に使うのかね」 と聞かれた。 「本を買うんだ」と答えたところ、 ギザギザのついた十銭銀貨3個を私の手に握らせ、 「よく勉強するんだよ」 と言ってくれた。 私が自力で稼いだ最初のカネは金30銭なりであるが、 その悦びは、その何百、何千倍にもなっていただろう。 帰る途中、「今に大きくなったらお礼にこよう」と考えていたが、 それは40年後に果たすことができた。 ちょうど50歳の時、銀行の取締役に就任した折り、 株主総会が終了すると同時に八百久さんへ礼に行ったが、 久蔵さんはすでに亡くなっておられた。 長男の方は、そういう話は、おやじからも聞いていない、という。 そこで、新築前のお店の戸袋はこの辺にあったはず、 ということが判明して、久蔵さんの仏前に頭を下げて帰った。 久蔵さんは恩を施したとは毛頭考えていなかったようだが、 私としては今でも大恩ある人の一人と思っているのである。 (『菜根譚』を読む 井原隆一著より) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005.07.30 07:54:14
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