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『父兄骨肉の変に処しては、よろしく従容たるべく、
よろしく激烈なるべからず。 朋友交遊の失に遇いては、よろしく剴切(がいせつ)なるべく、 よろしく優ゆうたるべからず。』 (親兄弟の異変に対処するときは冷静沈着であるべきで、 決して激しく感情に出してはならない。 友人が過ちを犯したときは、親切に忠告するがよく、 それをためらってはならない。) 別項で友人との例として、管仲、鮑叔牙の交友を述べているので、 ここでは「糟糠(そうこう)の妻」の故事をあげてみたい。 後漢の祖・光武帝には未亡人の姉・湖陽公主(こようこうしゅ)がいた。 姉は、かねてから大司空の要職にあった宋弘と再婚したいと願っていた。 それを知った帝は、なんとか姉の望みをかなえてやりたいと考え、 ある日、姉を別室に控えさせ、宋弘を呼んでこう切り出した。 「よく、『富みては交わりを易え、貴くしては妻を易う』 (裕福になったら友を替え、位が高くなったら妻を替える) といわれているが、貴公はその辺のことをどう思うかね」 いかに帝といえども、姉と結婚してくれとは言いかねたからであろう。 宋弘は、これは姉と結婚しろ、という意味だろうと考えたが、 はっきりとこう答えた。 「貧賎の交わりは怠るべからず、糟糠の妻は堂より下さず というのが本当の道だと思います。」 すなわち、「貧乏時代の交友は忘れるべきではないし、 糟(かす)や糠(ぬか)を食うような貧乏を共にした妻は、 たとえ名利を得るようになっても、捨てたり粗略に扱うべきではない と考えるのが人の道だと思います。」と。 光武も姉も、この一言であきらめたということである。 兄弟仲にしても、その多くは親からの遺産相続が原因で 悪くなっている場合が多い。 事情はどうあれ、第三者から見ても醜いものである。 「泣く泣くも良い方を取る形身分け」という川柳があるが、 泣く泣く取っても後々までしこりが残る場合も少なくない。 親の遺産争いで一生の角突き合いほど馬鹿げたことはない。 私は女房にも長男の嫁にも相続権を辞退させた。 いずれも高価な放棄であったようだが、将来の感情的なしこり に比べれば安いものであったと思う。 (『菜根譚』を読む 井原隆一著より) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005.08.09 04:43:40
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