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タコ社長,オーストラリア・メルボルンのスローライフな日々

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忘れられない人々

2014年01月02日
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テーマ:海外生活(7172)
カテゴリ:忘れられない人々
「タコさん、自分でもまだそんなに元気があったんだと驚いているんですよ。」
上海で中国人の奥さんと暮らす細川さんがメールでそう言って寄越した。細川さんは,
サラリーマン時代の会社の3年先輩で、この奥さんとは再婚にあたる。10歳になる娘さんと3人で暮らしていた。

「実は、先月二人目の子供ができたんですよ。」
奥さんは44歳というから高齢出産であったようだが、細川さんは64歳だ。生まれたばかりの目のクリクリした可愛い二人目の娘さんの写真が添えてあった。

自慢じゃないが、私はまだこの年になっても子供がない。サラリーマン時代の部長が、「結婚していないで、子供がいない奴はまだ半人前なんだよね。」と言っていたのをよく思い出す。こういう言葉って、その賛否は別としても体に刺さった刺のようにいつまでも残るもの。
だからといって、今になってじゃこれから子供を、と血迷ったりしている訳ではないが、中国から届いた嬉しいニュースに、正月早々やや上気していまいそうにもなる。

今年は、東京オリンピックから50年、初めての海外旅行のアメリカ行きから40年、サラリーマンを自ら下りて30年、日本語教師の職から次のステップを模索し始めてから20年、ブリスベンに支店を出してから10年などの年にあたる。どんな、ビックリするようなことが起きるのか本当にポジティブに期待したい。まっ、子供ということは間違いなくない、と言い切れはするが。

毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
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Last updated  2014年01月02日 08時46分17秒
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2013年12月20日
テーマ:海外生活(7172)
カテゴリ:忘れられない人々
セブからメルボルンに戻った。


「私の誕生日1月なの、香水お願いね。」
「2月はバレンタインデーね。」
「チョコレート沢山、忘れないでね。」

フィリピンセブで良く行く近所のBBQ屋の店員、オバサン、日本レストランのウエートレス、高級イタリアンレストランのウエートレス、、、、どこへ行ってもちょっと会話があると、お土産の話になる。初めて行った店でよく知らない人にでもおねだりされる。オーストラリアや日本の店では経験したことがない。何なのだろう、これは挨拶代りか、100人に言えばそのうち1人くらいは買ってきてくれる、といった類の常套句か。私が、日本人のバカでかい女性だったとしたら、男性スタッフからそう言われるのだろうか。いろいろと思いめぐらしてしまう。

「中国人のビジネスーパートナーとインテリアデザインの仕事をしているの。ほとんどの高級ホテルのクリスマスデコレーションは私がやったのよ。」
ゲイのフィリピン人男性が誇らしげにそう言う。何人かでホテルで会食した時の話。彼は、フィリピン人の30代の大成功者。自分の話しかしないのが気にはなったが。会食が終わって会計になると、この人全く支払おうとしない。その素振りさえ見せない。あれだけ大きなことを自慢していた人だったが。別れ際に、「Thank you my friend !」だと。You aren’t my friend. と言い返したかったが。

「日本人は、限度のないATMマシーンと思われています。」
長いことセブにお住いの日本人の方が依然言われていた。たまたま、私が出会った人がそうだったのかも知れない。到底、一般化はできない話なのだろうが。

どうこう言いながらも、私は次回のセブ入りには香水はさて置き、チョコレートは山ほど買っていくことにはなるだろう。サラリーマン時代、銀座のバーのホステスさんに「タコさん、香港行ったらお土産ね。」何て言われて鼻の下を長くした経験とはちょっと違ったものであろうが。ホステスさんたちは、間違いなく私より金持ちだったろうし。

全てはご愛嬌の内であれば、オランダ系の連れ合いにもそれほど怒られることもないとは思っている。

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Last updated  2013年12月20日 13時43分01秒
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2013年10月27日
カテゴリ:忘れられない人々
「すぐセブに行きなさい!」
秋田出身で87歳になる東村山の母が電話でそう言った。

翌日が日本行になっていた10月18日に、日本行をキャンセルして急きょ英語学校をやっているセブに行くことにした。10月15日に近くのボホールという所でマグニチュード7.2の地震があり、今まで経験したことのないような大きな地震で学校の教師、スタッフが怯えていると聞き、学生さんのサポート、建屋のチェックのためなどに行くことにした。日夜寝ずにサポートしている日本人スタッフのことも心配だった。

母は、年に2回の私の帰国を楽しみにしている。私の方がもっと楽しみしている。河口湖の温泉もキャンセルした。移住の身だから、母とあと何度会えるのかと思うと、、、、。 

セブで一週間が過ぎた。余震も落ち着いてきているがまだある。若いセブの教師にとっては私は、父親のような祖父のような年代で私がいるだけでも落ち着くようだ。来てよかった。壁の修復などもしている。日本人の学生さんは地震なれしている人も多く、先生スタッフを励ましてくれている。嬉しい限りだ。

「お前にやってもらうと思ったこと沢山あったんだけどね。仕方ないね。」
母は、いつも私が帰国するときに仕事リストを作って待っている。来年の1月に日本帰国を延期することにした。

ということで、日本でお会いしたかった皆さま、1月に是非。

母の仕事リスト、楽しみにしてる。

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Last updated  2013年10月27日 11時50分37秒
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2013年09月10日
テーマ:海外生活(7172)
カテゴリ:忘れられない人々
「今、何時ですか。」英語のクラスじゃないんだから、もう少し気のきいたことを聞けなかったのかと思う。場所は、池袋の丸物デパート(今のパルコ)、高校一年の私は学生服に身を包みならが平静を装ってベンチに腰掛けている女性にそうきいた。丸顔、おかっぱでお人形さんのような顔をして、緑色のセーターが体に必要以上にフィットしたおとなしそうな人だった。彼女は、階段の踊り場のベンチに腰掛けて休んでいた。あんなことが自分にもできたんだ、と今なら褒めてやりたい。覚えていないだけなのかもしれないが、後にも先にもなかった経験に思える。

時間を聞いただけでは終わらなかった。住所と電話番号も聞けた。人生、何だか急にバラ色に思えた瞬間だった。その後、何度か会う機会があった。私より2つ年上のKさんは、栃木の中学を卒業して東京の洋裁学校に通う、少々北関東ナマリのある人だった。

「私、知らない人と話したの、初めてなの。貴方、学生服着ていたし、真面目そうだったからなの。誤解しないでね。」
学生服って案外役に立つものだと思って感心したりして、Kさんが何を言いたかったのかまで気が回らなかった。Kさんは、真面目さを代表して栃木から上京しているような人で、いつまでたっても出会ったときのような関係が続いた。

結局、私の気持ちと期待が先行し過ぎて、そのぎこちなさを大いに突かれ最後となった。Kさんからの最後の手紙に、「肉を食べると体にも悪いしどう猛になりますよ。あなたは、菜食主義者になった方がいいと思います。」とあった。じゃ、坊主はどう猛じゃないのか、などと怒ってみても始まらない。Kさんは、当時信奉していたある菜食主義者の先生が書いた本の名前と出版社を教えてくれた。私は、今つくづく思う。あの時菜食主義者になっていたら、人生だいぶ変わっていただろうと。

ただ、この10年くらいのことを思うと、随分と菜食主義に近い食生活になっているとは言える。健康上のいろいろなことにも出会ってきている。そんなこともあって、最近はどうも、どう猛ではなくなってきているような気がしてならない。枯れ始めているのだろうか。

そんな折、「年寄ほど肉を食べろ!」という人が増えてきているのが気になっている。週三回くらいはステーキとか食べている人の方が健康で長生きしているというのだ。Kさんに会ったら言ってあげたいくらいだ。

ということで、肉食が中心のフィリピンには定期的に出向いていろいろな刺激を受けると健康で長生きできる、ということなのかもしれない。

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Last updated  2013年09月10日 16時09分49秒
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2013年09月02日
カテゴリ:忘れられない人々
「今、晩御飯の後片付けしながら歌うたってたんだよ。」
87歳になる、東村山で一人でやっている母が電話でそういった。

「毎週木曜にさ、介護ホームのデーケアに行ってるでしょ。そこで、一月に一回カラオケやるのよ。今日は、『星影のワルツ』だったんで、お母さんが一番好きで、よく昔歌ってたでしょ。」
そういえば母は、ドーナツ盤のレコードを買って歌っていた。あまり歌など歌わない母の数少ない一曲だ。

「そうか、今年は来られないのか。そうだね、フィリピンの仕事、しっかりやんなさいよ。仕事が一番だからね。」
そういいながらも、母の声のトーンが落ちているのが分かった。

短期でも、今年、もう一度東村山に戻りたい。ネットでダウンロードして「星影のワルツ」を聴かせてあげたい、とそう思った。



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Last updated  2013年09月02日 08時53分57秒
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2013年08月14日
カテゴリ:忘れられない人々
東京は池袋の西口の、落語で有名な池袋演芸場をもう少し行くと何とも妖しげな店が立ち並ぶ路地がある。大人になりかけのある青年が、好奇心に燃え尽きそうになりながらそこに立っていたとしよう。そこで、「1000円」という文字のある看板にしっかり惹き付けられ、ストリップ小屋に入ってしまったとしてみる。昭和50年代前半とかにしてみよう。

出てきた小太りな中年女性は、ほんの5分くらいクルクルしたりして厚手の上着を脱いだだけで、「はい、これ以上は別料金よ。どうする?」とくる。安い香水の匂いが充満する部屋でのできごと。全く、何も見せてはいない。想像にしても、私はこういうことがどうも嫌いで苦手だ。看板に偽りあり。どうしてこれを称してストリップなのだ。辞書の説明と違う。子供の頃、千葉辺りの潮干狩りに来ていたシュミーズのオバサン達の方が、よっぽど色っぽかった、なんて思ったりする。

「お兄ちゃんね、こういう所に来るときにはもっとお金持って来なね。」女性が服をつけながらそんなことを言ったりする。なかなか入れないで店の前を行ったり来たりして、勇気を奮ってやっとの思いで入ったところ、なんていう設定である筈だ。未来ある青年に対してあまりに酷い。

東北辺りから集団就職で出てきた無垢な青年なんて設定ではないが、まだ人を疑わない気持ちの方が強いころのことで、これはないだろうと憤ってしまう。こういうのが大人の裏の世界というのなら、これから一生185センチ82キロの子供でいたい、などと思ってもしまう。たとえば、この青年の父親が警察官だったりしたら、官憲に言いつけてやりたい衝動にも駆られたりするかも知れない。

「お兄ちゃんね、出るときにちゃんと見てね。看板に『1000円から』って書いてあるからね。私に文句言ってもダメよ。」もう、そういう親切心も通じない。あれだけエネルギーを使って入ってきて、このザマはなんだ。相手に不戦勝の至福を大いに与えてただ帰るなんて。そういう憤りが襲ってくるに違いない。仕方なく出るときにその看板とやら確認すると、老眼になったら絶対に書いていないと言い張って再び中に戻れるくらい小さな字で、「から」が書かれていたりする。人間は、こういう経験を積みながら、だんだんと大人になっていくのだろうか。

とはいえ、この方々も仕事、商売である。ギリギリのところでルールを守りつつ、高い利益率をキープしながらしっかりと利益を上げる。フーテンの寅さんも言っている。「見上げたもんだよ 屋根家のフンドシ。田へしたもんだよ カエルのションベン」そう叫びたくなってしまうような経験になるのではないだろうか。

恐らく、こういう経験をした小屋にはもう二度と行かないことだろう。そういう意味では、こういう店はリピーターを作れない訳で、商売としての本当のウマミを完全に逃している。
もし、私がこの小屋のタコオヤジだったら、こういうウブなお客さんにはもう少しだけ見せて恩を着せ、リピーターにならせるように社員教育を徹底するだろう。こんな話で威張ってみても始まらないが、架空の一期一会の話からも学ぶことはあるもんだと感心してしまう。いろんな一期一会があるもんだ。

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Last updated  2013年08月14日 07時57分53秒
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2013年08月06日
カテゴリ:忘れられない人々
「私、シングルマザーです。息子はね、ケンジっていうの。」
セブでよく行くインダインの露店BBQ屋で、細身でわりとすっきりした顔立ちのジュリーが言った。26歳だという。彼女は露出度の高い白と黄色の縞模様の普段着のワンピース姿で笑みを作った。

「韓国人、日本人の友達がけっこういたんだけど、今は子供もできて遊びには行けないわ。彼がやきもち焼きだし、第一お金もないしね。」
ケンジという2歳の男の子があたりを走り回る。この名前はどうもひっかかる。

「結婚しないのはね、旦那が浮気性かどうかみないといけないから。未婚で子供を産む子は沢山いるわ。」
「ニュージェネレーションっていうんだねこういう子は。」
インダインが口をはさんだ。
「昔は、結婚してから子供を作ったんだけど、今はね。」

「彼は、ショッピングセンターで夜の11時まで仕事。それから帰ってくる。ケンジはそれまで寝ないで待ってるわ。でも、稼ぎのいいマニラに移ろうと思っているのよ。」

「あの子はね、昔ビキニバーで働いていたの。お腹には二人目もいるのよ。」
ジュリーがちょっと席を外したときインダインがそう言い捨てた。ビキニバーとは、説明しなくても分かる場所。因みに、私が学生時代、東京には水着喫茶というのがあった。ここは、鑑賞だけの喫茶店。普通の喫茶店が120円くらいのとき、500円だった。と、聞いたことがある。同じビキニでも違いは大きい。

「明日は彼が休みの日だから、きっと会えないわ。タコ、またねー。」
そう流し目で言って、ジュリーはケンジを抱えてゆっくり揺れながら暗い路地を帰っていった。

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Last updated  2013年08月06日 18時35分24秒
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2013年07月29日
テーマ:海外生活(7172)
カテゴリ:忘れられない人々
「タコさん、オーストラリアから日本に帰らずそのままタイに行くことに決めました。」
60半ばになる石川さんが挨拶に来られた。オーストラリアに都合7年いて、そのうち5年は英語を学ぶ学生生活をされていた。ご兄弟がこちらにいるということで、日本を出てオーストラリアで学生生活をしていたが、それに終止符を打って、学生仲間で知り合ったタイ人に話しを聞いて タイ行くことにしたという。

「どうせ日本に帰っても家族もいないし。帰ってもしかたないんですよ私は。」そう笑顔でいう石川さんは独身だ。今まで身の上話も聞いたことがないので、どういう生活をしてこられてのかは分からない。

「いつまでタイにおられるつもりですか?」私は聞いてみた。
「これから一生いるつもりです。年金で生活できますからね。」

近年、タイや今私が英語学校をやっているフィリピンに永住する人が多いが、目の前で話している石川さんもその一人になるという。因みに、私の友人でご夫婦でマレーシアに定期的に生活しに行っている方もいる。中高年、アジアが生活の場になってきているのだろうか。

「オーストラリア、物価が高くなりましたよね。生活も厳しいです。その点、タイでは心配しないで生活ができます。」小柄な石川さんがメガネの奥で笑顔をつくった。東京、大阪、シドニーそしてメルボルンが世界で最も物価の高い都市、という調査もある。

オランダ系の連れ合いに追い出されたら私にもタイやフィリピンがあるのか、なんて思った訳ではないが、なんだか心の支えにはなってくれそうにも思えた。しかし問題は、私には年金がないということ。日本では9年弱しかかけていなかったから、もしタイにいったらヤミでココナツジュースなんかを売ったりして生計を立てていかないとならないかも知れない。

「バンコクは大変だから、少し涼しいといわれているチェンマイにそのまま行きます。」
「ああ、あの玉本さんで有名になった。」
石川さん、苦笑いしていた。今の若い方々には何の話か分からないだろうが。

石川さんは、別れのエレベーターの中から満面の笑みを浮かべて、その童顔丸顔を深々と下げて挨拶をされて帰っていかれた。

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Last updated  2013年07月29日 07時12分29秒
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2013年07月25日
テーマ:海外生活(7172)
カテゴリ:忘れられない人々
「済みません、そのサンダル、どこで買ったんですか?」
フィリピンのSMという大きなショッピングセンターでフィリピン人の中年の女性に声をかけられた。

「明日、弟の誕生日なんで、そんなサンダルをプレゼントしたいと思ってるんです。でも、あまり見かけないやつですね。」
「これは、シンガポールで買ったやつなんですが。」

そんな調子で会話が始まった。その筋の女性からは何度か声をかけられたことのあるセブだが、そういう女性は一目見て分かる厚化粧の女性か、または孫ほどの年齢の女性で普通なら見向きもされない感じの女性なので身構える。ただ、このサンダル女性は器量は10人並以下で、人の良さそうな感じで何の警戒も必要なく、自然に会話が始まった。昨年の10月のことだった。

「そうですか、英語学校をやるんですか、私こちらの学校の非常勤講師だったんで興味ありますよ。実は、私の母は日本人なんです。私、愛子っていうんです。」
まともな話が弾んで、お茶しながら話しが続いた。

「母の手料理をごちそうしますから、今度家に来てください。友達がインターネットカフェをやっているんで、今、その仕事を手伝っているんです。いろいろ、ビジネスの話もできますよ。」
メルアドを交換して別れた。日系人だということで、親近感も感じられた。

「こちらで家を買うときは、女性を紹介しますよ。ちゃんとビジネスですから大丈夫です。」
フィリピン人でないと一戸建てが買えないということで、私に偽装結婚を手配するというのだ。2度目のメールでこんなことを言い出したので、私はそれを最後にこの愛子という女性との連絡を絶った。うさん臭さが全開だった。やっぱり、向こうから声をかけてくる女性に当たりはない、ということなのだろう。日本人のお母さんがダシに使われているようで悲しくもなった。否、この話自体怪しいかもしれない。韓国人には韓国人の母がいるとか言っているのかもしれない。

先日、日本人相手にいかさまトランプ詐欺などを働いているグループがいると警告がセブの日本人社会に出回った。

フィリピン人女性から「そのジャケットすてきね。どこで買ったの?」と声をかけられる。自称 Aiko:中年女性、カタコトの日本語を話す、母は日本人でハーフだという。明日弟(Hiro)の誕生日パーティーがあるからと家に誘われ、連絡先を交換、翌日会う約束をしてその日は別れる。

私は、開いた口が更に大きく開いてしまい、思わず苦笑いしてしまった。私の話、そのままだ。あまりに芸がない。メールのうさん臭さで私は大丈夫だったが、会ったときはそのまますべて信じてしまったのだから、コロッと騙されてしまったのには変わりない。若い人を中心に多くの犠牲者が出ているようだ。あの愛子は、毎日カモの日本人を探してショッピングセンターを徘徊しているのだろう。

これからは、声をかけてくる人は、美人とか目立つ人以外も気を付けないといけない、とか思ったわけではないが、自分にもまだある隙をしっかり埋めてやっていかないと、と念じさせてはいただいた。

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Last updated  2013年07月25日 23時08分42秒
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2013年07月22日
カテゴリ:忘れられない人々
「パチンコ屋さんに入ったことなんかありません。」
ちょっと前の話だが、無理にお茶させていただいた、27歳のグラフィックデザインを学んでいる留学生の女性の方がそういう。私は何も、ストリップ小屋とか、競輪、競艇、競馬、花札賭博、などの話しをしているのではない。たかだか、パチンコ屋の話しだ。ちょっと嫌な顔をされた。私は、嫌な顔をされるのが本当に不得意だ。これは一生治らないかもしれない。

「バカねタコさん、パチンコってれっきとした賭け事よ。行ったことのない女性の方が圧倒的に多いのよ。世間知らずね。第一、あのタバコがだめ。私も行ったことないわよ。あんたがマイノリティーなのよ。バカじゃないの!」
最近、親しくさせていただいている中高年女性からそう揶揄された。自己中とは本当に恐ろしい。

子どもの時、邑山の叔父さんが遊びに来るのが楽しみだった。叔父さんは、来る前に必ずパチンコ屋に寄って来る。そして、沢山の景品をお土産に持ってきてくれ る。牛乳瓶の底のような度の強い眼鏡をかけて、寡黙だけど人を笑わせる邑山の叔父さん、戦争中は憲兵隊でソ連の捕虜になってシベリアで抑留生活をしている。そんな過去の陰を感じさせない優しい叔父さんだった。叔父さんは、母の出身地秋田から冬の間出稼ぎで来ることが多かった。

叔父さんに連れられて、パチンコ屋に何度か行ったことがあった。落ちているパチンコ玉を拾って遊んだりしていた。結構、玉って落ちているもんだった。しかし、そんな日に限って、叔父さんは不調だった。
「今日はダメだな。」なんて言いながらタバコのヤニで黄ばんだ歯を出して笑った。

― ああ、今日も500円すってしまった。
東京は大塚にあった「武蔵予備校」に通っていた19歳の夏、大学合格の自信が全くなく荒んだ気持ちを、そのままパチンコ屋に持ち込んでいた。親の脛かじりの予備校生が、親の金でパチンコに狂った。行くたびに500円すっていた。探せば、コーヒー60円の純喫茶もあった頃のこと。

しかし、ある 日スパッと止めた。熱し易く冷め易い性格に感謝したい有り難い家系。但し恋愛に関しては、先方の方が先に冷めるのが常で、そんな時の私のしつこさは半端じゃなく、自分でも褒めてあげたいくらいだ。

邑山の叔父さんは、私が高校1年の1968年12月に、出稼ぎ先の千葉県木更津の病院で42歳の若さで亡くなった。盲腸の手術から腹膜炎を併発した、という本当に残念な死だった。思い出す叔父さんは、やや体を斜めにして立って、左手に沢山のパチンコ玉を握って、素早く穴に入れて右手で連発する真剣な姿だ。

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Last updated  2013年07月22日 23時48分44秒
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