堺と種子島の物語 「堺祭り 1」
堺と種子島を結びつける物、それは火縄銃です。ポルトガル人が種子島に持ち込んだといわれる火縄銃はヨーロッパでは普及しなかった質の低い武器でした。しかし日本には質の高い加工技術がありました。最初は脅し程度に使われていた火縄銃ですが、その殺傷性能は大幅に向上して短期間で強力な武器となります。今のライフルのような線条はありませんから命中度は低かったものの、近距離での殺傷力は強く今でも危険な武器です。骨董品として持つ場合でも銃のライセンスが必要ですし、手に持つだけでも銃刀法違反で逮捕される可能性があります。火縄銃の一つの生産地が堺でした。種子島から直接伝来したわけではないのですが、港町としてかなり早く堺には到着したはずです。種子島には銃と同時に作り方まで伝来したようですので、比較的すぐに大量生産に入りました。戦国時代、日本の人口は1000万人を超えるくらいでしょうが、なんと火縄銃は50万丁もあったそうです。その高い性能を武器に火縄銃は堺の重要な輸出品となりました。東南アジアの武器の大生産地が堺だったのです。鉄砲は強力な武器でしたが、刀狩で大きく数を減らしました。徳川幕府は鎖国で鉄砲の輸出を禁止します。これにより堺の活力は一気に低下します。明治維新のドラマを見ると火縄銃があまりでてきませんね。特に龍馬伝などで龍馬と新撰組は京都の市街戦が中心だったため、脇差が効果的で刀や火縄銃は出てきません。拳銃が出てきてはじめて銃が市街戦で用いられるようになるのです。堺のパレードにはミス種子島がゲストとしてパレードに参加されていました。火薬くさい歴史とは関連がつかない魅力的な方でした。堺と種子島は友好都市になっています。他にも仙台からのゲストが来られました。仙台、つまり会津と堺の結びつきは更に複雑にはなるのですがやはり鉄砲が関係してくるようです。