戦国時代と言い、明治維新といい、日本の戦争にはどうしても京都周辺で大きなエピソードが発生します。応仁の乱から始まる戦国時代は「誰が京都に上るのか」という戦いでしたから、自然と京都の周りに城を置く大名(もしくは寺院)が戦場のカギを握る運命となりました。
そんな戦国の世の中で一大事件といえば本能寺の変、明智光秀の反逆です。今にして思えば無謀にも思える本能寺の変、羽柴秀吉がものすごい勢いで戻ってきたことで三日天下となりました。しかし明智光秀にも勝算はあったのです。そもそも毛利に手を焼いていた羽柴がすぐに戻ってくるとは思えませんでしたし、戻ってきても対策は打っていました。
その光秀の勝算とは筒井順慶による秀吉の行軍阻止でした。光秀と姻戚関係にある順慶は光秀の紹介で信長の家臣になりました。しかし光秀の期待に反し順慶は兵を出さず、この大和郡山城に籠城したのです。つまりが秀吉に寝返ったことを意味し、その後筒井家と豊臣家との蜜月が始まります。裏切り者ということで歴史的には人気が低いのですが戦略としては素晴らしい。今はNHKの影響で順慶と一緒に戦った島左近が有名ですね。
詳しくは筒井康隆氏が1969年に書いた「筒井順慶」をどうぞ。読みやすくて面白いですよ。私が好きな作家さんのひとりです。さてそれでは帰省してきます。日曜日に戻ります。