江戸時代のキリスト教弾圧は「極悪」な徳川幕府の失策として学びましたね。「本当にそうなのか」と言うことを議論すること自体タブー視されているような気がしますが、あえて考察してみます。江戸時代の多くの失策が悪であるかのように語られますがこれには二つの要素を感じています。明治政府による江戸幕府の「政治否定」(今の自民と民主の争いのようなもの)および第二次世界大戦敗戦に伴う西側キリスト教社会への「逆踏み絵」(踏んだ者を抹殺する)があると感じています。特に後者の「キリスト教を否定することは悪である」という戦後教育は敗戦国として当然あった思想コントロールです。日本がアメリカの「属国である」という印象は今でもアメリカ政府が持っていることは鳩山さんの論文がアメリカで議論になった時に感じた印象です。
日本でも今のイスラム、ユダヤ、キリスト教圏と同じく宗教戦争に明け暮れていた時代があります。戦国以前の時代です。しかし江戸時代になると全くと言っていいほど日本から宗教戦争がなくなります。宗教を良くも悪くも「平和な組織」に変えたのは信長、秀吉、そして徳川幕府でした。それがキリスト教弾圧とどう関係するのか。信長のやり方は今でこそ「平和の象徴」となった寺院に対する非道なホロコーストに見えますが、当時の宗教団体は大名以上に強力な武装集団だった事をわすれていないでしょうか。寺院が軍隊をもった背景は寺院権益の防衛だったのですが、それが行き過ぎた時代が戦国時代だったのです。それなのにそのわずか50年後の江戸時代以降、ほとんど(島原の乱を最後に)宗教戦争が起こっていません。宗教は武装解除をしているのです。これは秀吉が刀狩りと同時に「宗教戦争を禁止した」からです。その禁止支持に従わなかった宗教が二つありました。
もう少し丁寧に書きましょう。織田信長、豊臣秀吉、そして方針を受け継いだ徳川幕府が「寺院の治安を維持し、収入を確保するので武装を解除し他の宗教の檀家を不当に殺戮しない事」という「平和条例」をつくりました。秀吉の「惣無事令」です。この法令は「大名に対する政策」と解釈されていますが、歴史背景をみると寺院集団が主対象と感じています。この条例に同意しなかったのが二つの宗教でした。キリスト教と一部の日蓮宗です。徳川はキリスト教だけでなく日蓮宗に対しても非常に厳しい制裁を行っています。キリスト教が外国の宗教だからという理由で弾圧したわけではありません。日本政府に従属しなかったからです。ここが大きな誤解なのです。今でも残る日本の「死刑制度」には昔からさらに苛烈な制度であったことは誰でも知っている事実であり、戦前まで多用されていたことも誰でも知っています。キリスト教徒だけを死刑にしたということではなく、死刑が単に今以上に一般的な刑であったのです。キリスト教弾圧は政策に従わないことへの刑であり、踏み絵は下劣ではありますがアルコールチェックに近いものです。過去の死刑を非難するなら、現在の死刑制度に反対ですか?踏み絵が非道で現在の死刑制度は問題ないということであれば矛盾があります。なぜ過去を非難して現実には目を瞑るのか…。一方で私の立場は「どちらも治安維持の方法として必要」と感じています。死刑をなくすのではなく、教育の強化、人間関係の見直しで、死刑に到達する犯罪の撲滅が重要と感じています。
日本人が宗教戦争を理解できないほど歴史に埋没させたのは信長を筆頭にする戦国時代から江戸時代の政治功績であることは間違いがなく、そのやり方には殺戮を伴うもので大きな問題を感じるものの戦闘撲滅に関しては感謝しなければいけません。当時のキリスト教の他宗教に対する宗教弾圧は南アメリカやアジアで民族を滅亡させるほどに卑劣でした。宗教の名のもとに「無条件殺害」を実際に協会が許可していたのですから。その同じ時代に宗教戦争の撲滅に成功した徳川幕府の政治は世界に誇ってよいと考えています。そしてこの方法が一つには今も世界中にあふれる解決策の見えない宗教戦争を終わらせられる可能性を見つけられるきっかけにならないかと感じているのです。