私のBlogでは常にサブタイトルをつけています。今回の奈良南東の旅は「奈良の南東」としてもよかったわけですが「シルクロードの東端」としています。その理由はこの薬師寺で玄奘三蔵と広島で原爆の被害にあわれた平山郁夫氏が30年かけて作成した大作に出会ったからです。
今回の紹介は皆さんから批判があっても日本の宗教について考えてみる機会にしています。個人のBlogで意見ですから、事実ではなく、歴史的根拠はなく、単なる個人的考察、解釈です。歴史の事実ではないという点だけは間違えないでほしいと考えていますので、何度かお断りをしています。ではなぜこんな無為な文章を書いているのかというと、今の平和は「自分たちの努力による」と勘違いしている人があまりに多い事に不満があるからです。先祖の流血の努力で私たち子孫が平和を満喫しているのです。私たちは何も犠牲にしていない。平和を将来に、子供たちに引き継いでいくためには私たちの先人達が私たちに与えてくれたような流血の…は言いすぎですが何かを犠牲にした行動が必要なのです。それなのに昔の人の私たちを思いやってくれた好意を非難するという現在の歴史教育はいかがでしょうか。仏教は世界の中で最も平和な宗教と思われていますが、それは必ずしも正確でありません。奈良時代から始まった日本の仏教派閥による宗教戦争を17世紀の政府が武装解除に成功したことで治めた歴史的快挙は、日本が世界に誇る快挙であることを前回説明したつもりです。
同じ宗教内部でも仏教、キリスト教、イスラム教には多くの派閥があり殺し合いをしてきました。さらに宗教間にまたがる場合は苛烈です。西遊記で玄奘三蔵の旅に多くの宗教的障害があったことを空想小説として残っています。「真理を求める三蔵」を妨害する邪(邪教=仏教を信じない邪なる者)を、孫悟空をはじめとする軍隊の暴力で駆逐する物語でしたね。決して平和な物語ではありません。彼の本当の旅は実に平和だったのに、なぜここまで暴力で脚色されたのか。当時は宗教と平和の関係に現実味がなかったからかもしれません。
薬師寺の玄奘三蔵院に保管されている平山氏の巨大絵画は平和なシルクロードを描いています。西遊記とは違うとても平和な風景です。これが現在の日本の宗教の、いえ平和の世界感(期待感)であり、日本が世界に誇る、世界に広げていかなければいけない宗教平和な風景だと感じました。少々入場料金が高いのですが機会があれば、平山先生の巨大絵画にシルクロードと仏教の平穏を感じてください。薬師寺ももう少し平和な入場料金に値段下げろよ(笑)